鳳山雑記帳はてなブログ

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戦史

ドイツの戦争 用語解説

ようやく『ドイツの戦争』シリーズが完結したわけですが、ある程度戦史を知っているか軍事知識がある方を想定して書いたので、もし興味を覚えた初心者の方がいらっしゃったら用語がチンプンカンプンではないかと心配しました。 気付いたのはシリーズを書いて…

ドイツの戦争13  ベルリン攻防戦(終章)

最初に、アルデンヌ攻勢からベルリンの戦いに至るまでの経過を記します。ラインの守り作戦の破綻でドイツ軍は虎の子の戦車800両、兵員10万人を失いました。この作戦に投入した兵力はもともと戦略予備として準備されたものでしたから、それが無くなった以上西…

ドイツの戦争12  バルジの戦い

ノルマンディー上陸作戦以来、米英連合軍は着実に兵力を拡大し続けます。1944年8月の段階では、連合軍総司令官のアイゼンハワー元帥の下に米軍で編成された第12軍集団をブラッドレー大将が率い、英連邦軍中心の第21軍集団をモントゴメリー元帥が指揮しました…

ドイツの戦争11  ノルマンディー上陸作戦

クルスクの戦いで一息ついたとはいえ1941年以来ドイツの矛先がずっとソ連に向いておりその損害は甚大でした。ドイツ軍とソ連軍のキルレシオは一説では10対1(ドイツ軍が1損害を出す間にソ連軍は10の損害を受ける)だったとも言われます。第2次大戦のソ連の犠…

ドイツの戦争Ⅹ  ツィタデレ(城塞)作戦

第3次ハリコフ攻防戦の結果、中央軍集団と南方軍集団の担当区域の境界にソ連軍前線の突出部が残されました。ドイツ軍はクルスクを中心としたこの突出部に目をつけます。独ソ戦開始から2年。ドイツ軍にはすでに全戦線で攻勢をかける力はなく、クルスクの突出…

ドイツの戦争Ⅸ  ハリコフ機動戦

1943年2月、スターリングラードの戦いで敗れたドイツ軍は苦境に立たされました。とくにバクー占領を目指してコーカサス地方の奥深くまで攻め入っていたA軍集団は退路を断たれこのままでは包囲殲滅される危険性が出ます。全滅を防ぐためA軍集団にはすみやかに…

ドイツの戦争Ⅷ  スターリングラード攻防戦

1941年11月から翌1942年1月まで続いたモスクワ攻防戦に敗北したドイツ軍は、モスクワ正面のみならず全戦線で後退を余儀なくされました。ところがこれが全面潰走にならなかったのは、ドイツ軍が巧みに後退した事もありましたが、何よりも雪解けの泥濘でソ連軍…

ドイツの戦争Ⅶ  タイフーン作戦

ソ連/ロシアは地政学的に縦深が深い国だと言われます。どういう事かというと、首都が国境から遠く後背地も広大であるため敵は侵攻すればするほど補給に苦しみ、こちらは敵軍を自領深く誘いこんで補給路を断ち相手の補給線が延び切ったところで反撃すれば勝て…

ドイツの戦争Ⅵ  バルバロッサ作戦

バルバロッサ(赤髭)とは神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサのこと。ボヘミアとハンガリーを神聖ローマ帝国の影響下に置いた事から、同じスラブ民族への戦いとしてふさわしいと見られ作戦名となりました。 もともとヒトラーもスターリンも独ソ不可…

ドイツの戦争Ⅴ  バトルオブブリテン

フランス作戦成功の後、当然ドイツ軍はイギリス侵攻作戦を計画しました。作戦名は「ゼーレ―ヴェ(あしか)」。陸続きのフランスは陸軍が領土を占領すれば勝てますが、島国のイギリスは周囲が海であるため上陸するにもまずイギリス海軍をなんとかしなければい…

ドイツの戦争Ⅳ  北アフリカ戦線

フランス侵攻作戦の後、時系列的にはバトルオブブリテン(1940年7月~1941年5月)を描くのが自然ですが、イタリア参戦を書いたので、その後のイタリア軍の動きとそれに関連する北アフリカの戦いを描きます。 1940年6月10日、イタリアは中立をやめ枢軸国側で…

ドイツの戦争Ⅲ  フランス侵攻作戦

1939年第2次世界大戦勃発、ポーランド、北欧と戦場は移り次はフランスだと誰もが思っていました。ところがナチスドイツはフランスへの直接侵攻をなかなか実行に移さず、英仏も逆侵攻などまったく考えないようにひたすらドイツ領への空爆を繰り返すのみでした…

ドイツの戦争Ⅱ  ヴェーゼル演習作戦

『ヴェーゼル演習作戦』とは、ドイツ軍によるデンマーク、ノルウェー侵攻作戦のことです。何故この地域への侵攻作戦が企画されたかというと、軍事的経済的意味があったからです。 ドイツが戦争遂行するために重要な物の一つとして中立国スウェーデンの鉄鉱石…

ドイツの戦争Ⅰ  ポーランド電撃戦

序章で政治面からドイツの動きを見てきましたが、軍事面ではどうだったでしょうか?海軍・空軍・陸軍それぞれを見てみましょう。 まず、海軍は第1次大戦敗戦で巨大なドイツ大海艦隊を解体させられ旧式の装甲艦6隻、巡洋艦6隻、駆逐艦12隻、魚雷艇12隻に保有…

ドイツの戦争序章  ヒトラー政権の誕生

第1次世界大戦の敗北によってドイツでは帝政が倒れカイザー(皇帝)・ウィルヘルム2世はオランダへ亡命しました。ヴェルサイユ条約でダンチヒ回廊を失い、工業地帯であったルール地方は非武装とされフランス軍が保障占領するという屈辱に見舞われます。さら…

新シリーズ 『ドイツの戦争』を始めるにあたって

前シリーズ「日本の戦争」は、自虐史観で戦前の日本を悪と決め付けたマスゴミの偏向報道に義憤を感じ真実の歴史を記さなければならないという使命感から書きました。公正・公平な立場で戦前の日本の悪かった点、良かった点を論じ、今後戦争の危機が来た時ど…

日本の戦争15  沖縄決戦1945年3月~6月 (終章)

これまで大東亜戦争で代表的な戦闘をピックアップして見てきたわけですが、ここである程度軍事知識のある方に質問です。軍事に興味のない方や初心者の方はスルーしてください。 日本軍が守るA、B、C、Dの島があるとします。守備兵力はそれぞれ1個師団。アメ…

日本の戦争14  硫黄島の戦い1945年2月~3月

マリアナ諸島失陥後、サイパン・テニアンから飛来したボーイングB‐29重爆撃機による日本初空襲は1944年11月24日でした。以後、終戦まで北海道を除く日本本土は米軍の無差別爆撃の餌食となります。軍事施設だけでなく、多くの民間人を対象とした無差別殺人(…

日本の戦争13  レイテ沖海戦1944年10月

サイパン、テニアン、グアムを含むマリアナ諸島の失陥は絶対国防圏の崩壊を意味しました。すでに1944年6月には支那大陸成都を基地としたボーイングB-29重爆撃機による北九州工業地帯への爆撃が始まっていましたが、今後はサイパン、テニアンを基地としたB-29…

日本の戦争12  マリアナ沖海戦1944年6月

ガダルカナル島を巡る戦いに敗れソロモン群島やニューギニア各地でアメリカ軍の猛攻を受ける日本軍。島嶼部では孤立した守備隊がマキン・タラワやアッツ島に始まる凄惨な玉砕戦を繰り広げていました。ミッドウェー海戦で虎の子の正規空母4隻を失った日本海軍…

日本の戦争11  インパール作戦1944年3月~1944年7月

ガダルカナル島を巡る日米の戦いは大東亜戦争の帰趨を決する重要なものでした。この戦いに敗北した日本は、攻勢に転じたアメリカ軍の攻撃を防ぐ一方になります。アメリカ軍は日本を攻めるために二つの攻勢軸を決めました。一つは太平洋艦隊司令長官チェスタ…

日本の戦争Ⅹ  ニューギニアの戦い1942年3月~1945年8月

ニューギニア島は日本列島の真南に位置し距離5000km。面積は日本のほぼ2倍という大きな島です。島の中央は険しい脊梁山脈が走り西からマケオ山脈、ビスマーク山脈、オーエンスタンレー山脈が連なります。どれも4000mから5000m級の高さを誇ります。高地を除き…

日本の戦争Ⅸ  ガダルカナル島攻防戦1942年8月~1943年2月

珊瑚海海戦の痛み分けにより海路からニューギニアの要衝ポートモレスビー攻略は不可能となりました。後はオーエンスタンレー山脈越えの陸路からの攻撃しか選択肢が無くなります。そうなると米軍が機動部隊はもとより陸軍航空隊まで動員して袋叩きに来るのは…

日本の戦争Ⅷ  ミッドウェー海戦1942年6月

ミッドウェー島の名前の由来は北米大陸とユーラシア大陸のちょうど中間にあるからだそうです。太平洋の地図を見てもらうと分かる通り絶海の孤島。ただしハワイ諸島にはより近く2310km。日本がミッドウェー島攻略を決意したのはここから一式陸攻でハワイを爆…

日本の戦争Ⅶ  珊瑚海海戦1942年5月8日

軍事用語に「攻勢終末点」という言葉があります。もとはクラウゼビッツの「戦争論」が出典ですがその国の補給能力の限界でこれ以上進出するとジリ貧になるというぎりぎりの限界点の事です。私はニューギニアやガダルカナルを含むソロモン諸島はこれに当たる…

日本の戦争Ⅵ  インド洋作戦1942年4月

日本は対米戦を覚悟した時、まず真珠湾を攻撃して米太平洋艦隊を叩きシンガポールを攻略してイギリス極東軍と極東艦隊を叩き南方攻略の邪魔をさせないように排除し、その上でフィリピン、蘭印、ビルマなど南方資源地帯を占領して不敗の態勢を築くという所謂…

日本の戦争Ⅴ  蘭印作戦1942年2月~1942年3月

日本がこの戦争で長期不敗の態勢を整えるには南方資源地帯をいかに早く抑えられるかにかかっていました。そのための真珠湾攻撃でありマレー作戦だったのです。オランダ領インドネシア(通称蘭印)とイギリス領ボルネオは石油の宝庫でした。とくに蘭印はスマ…

日本の戦争Ⅳ  マレー作戦1941年12月~1942年2月

真珠湾攻撃に関しては、こうすればよかったという意見が多いですがすべては結果論だと考えています。港湾施設の破壊、重油タンクへの攻撃などできれば理想でしょうが、失敗したら虎の子の機動部隊が壊滅し日本は何もしないうちに降伏を余儀なくされていたわ…

日本の戦争Ⅲ  真珠湾攻撃1941年12月8日

1941年12月8日と言えば日本人のほとんどが対米開戦の日だと知っています。日本が何故対米戦を決意したかさまざまな理由が語られていますから改めて私が述べる事はありません。ただ支那事変の収拾に手間取りアメリカに付け入る隙を与えたという事実は指摘して…

日本の戦争Ⅱ  ノモンハン事件1939年

モンゴル高原は東へ行くとなだらかに下り興安嶺山脈まで同じようなステップ地形が続きます。これが興安嶺を過ぎると針葉樹林地帯になり全く気候が変わります。古来興安嶺が遊牧民と狩猟民の生活圏の境でしたが、興安嶺東の針葉樹林地帯に興った半農半牧の満…