鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

日本史

畠山重忠と惣検校職(そうけんぎょうしき)

マニアックな話題で申し訳ございません。大河ドラマ鎌倉殿の13人で畠山重忠が代々武蔵国惣検校職を受け継いできたという話が出ました。今回は惣検校職とは何か?について考えていきたいと思います。 その前に大前提として当時の地方行政の話をします。律令体…

佐々木氏の本貫の地佐々木庄はどこにあったか?

近江源氏佐々木氏。宇多天皇の玄孫源成頼が近江国佐々木庄に下向したことから始まる一族ですが、鎌倉中期以降、嫡流で近江守護になった六角氏、北近江と出雲、隠岐、飛騨の守護となった京極氏に分かれます。 京極氏は室町幕府の侍所頭人になれる家柄四職家(…

豊臣三中老のその後

本日の話題は非常にマニアックですのでスルーお願いします。 三中老というのは豊臣政権で五大老と五奉行の意見が合わないときに仲裁役として設けられたもので、生駒親正、堀尾吉晴、中村一氏が任ぜられました。ちょうど戦国時代をテーマにしたシミュレーショ…

鎌倉殿の13人の有名子孫たち

NHK大河ドラマで鎌倉殿の13人が始まって鎌倉時代への興味が再び湧いてきました。13人というのは頼朝死後二代将軍頼家が若く政治経験がなかったことから宿老13人が合議制で幕府を運営したもので歴史的には十三人の合議制と呼ぶそうです。 この合議制は幕府執…

土肥遠平と小早川氏

平安時代末期から鎌倉時代に渡る非常にマイナーな話ですので興味ない方はスルーしてください。 私は日向の戦国大名伊東氏が好きで、その関連で先祖の工藤祐経も好きだという話は以前書きました。世間一般では工藤祐経は曽我兄弟の仇討の敵役としてイメージが…

八重姫が強制的に嫁がされた江間小四郎は北条義時か?

今年の大河は鎌倉殿の13人。その中で新垣結衣演じる八重姫が悲劇のヒロインとして出てきます。八重姫は伊豆の豪族伊東祐親の三女で流人だった源頼朝と通じ一人息子千鶴丸を得ます。ところが京の大番役から帰ってきた父伊東祐親はこれを知り激怒。千鶴丸を殺…

刀伊の入寇余話 博多警固所

皆さん誰も興味ないと思いますが、私は一つの事に関心を持つと関連項目も調べたくなるという癖を持っていまして、刀伊の入寇で日本側防衛拠点になった博多警固所が気になっていました。 そこで調べてみると、古代から中世までの博多は西側が入江で今の福岡城…

刀伊の入寇Ⅲ 異族襲来

1019年刀伊の入寇は日本史上初の異民族の来襲だったわけですが、実はそれまでにも小規模な侵略は何度もありました。新羅末期の893年新羅賊が内海の有明海を横断し肥後国飽田郡(現在の熊本市西部)に侵攻、民家が焼亡し賊は肥前国松浦郡に逃亡したという記録…

刀伊の入寇Ⅱ 11世紀の日本

刀伊の入寇の起こった1019年がどういう年かというと、日本では藤原道長が従一位摂政・太政大臣として藤原摂関家の絶頂期にあった時期でした。道長の有名な和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んだのは刀伊の…

刀伊の入寇Ⅰ 11世紀の東アジア

学生時代、日本史で何となく習ったので覚えている人も多いと思いますが、日本が外国から侵攻されたのは元寇、大東亜戦争とこの刀伊の入寇の三度しかありません。ところが他の二つと比べ刀伊の入寇に関してはほとんど実態が知られていませんでした。最近にな…

奈良朝の風雲Ⅷ 宇佐八幡神託事件(終章)

藤原仲麻呂の乱の戦後処理は苛烈を極めました。近江で最後まで仲麻呂に付き従った34人以外に、仲麻呂派と見做された者475人が連座します。斬刑に当たると判断され764年12月だけで13人が処刑されました。最終的に475人全員が処刑されたのか一部は許されて流刑…

奈良朝の風雲Ⅶ 藤原仲麻呂の最期

橘奈良麻呂の変で右大臣藤原豊成は失脚します。左大臣橘諸兄はすでに引退していました。息子奈良麻呂の横死の衝撃でもともと病気がちであった諸兄は757年病死しました。享年74歳。これで大納言仲麻呂が太政官の首座に就き政治を行うようになります。ただ孝謙…

奈良朝の風雲Ⅵ 藤原仲麻呂の台頭

743年藤原仲麻呂は従四位上参議に任命されます。橘諸兄政権ではすでに兄豊成が参議となっていたので藤原南家は二人の参議が誕生したことになります。仲麻呂は藤原家嫡流南家(父武智麻呂が初代)の次男でした。幼少期から俊才の評判高く叔母に当たる光明皇后…

奈良朝の風雲Ⅴ 大仏開眼

聖武天皇(在位724年~749年)という人は、父方の曽祖父天武天皇、母方の曽祖父天智天皇と比べると精神的な弱さをどうしても感じてしまいます。藤原広嗣が九州で反乱を起こすと、その鎮圧の報告が届く前に平城京を逃げ出しました。都を出た理由は、広嗣の乱…

奈良朝の風雲Ⅳ 藤原広嗣の乱

日本人の8割は自称も含め源平藤橘のどれかを先祖とするそうです。藤原氏は藤原鎌足が祖、平氏は桓武天皇を祖とします。源氏の場合は一番有名なのが清和天皇を祖とする一族ですが、他にも嵯峨源氏、宇多源氏、村上源氏など数多く存在します。そして橘氏の祖が…

奈良朝の風雲Ⅲ 藤原四子政権

左大臣長屋王の失脚により朝廷の公卿の入れ替えが行われます。まず大納言多治比池守が730年老齢により没しました。その後任として大宰府から呼ぶ戻された大伴旅人も一年後病死。位階は高くとも名誉職の意味合いが強い皇族の舎人親王、新田部親王は別格として…

奈良朝の風雲Ⅱ 長屋王の変

長屋王(676年~729年)の父高市皇子は天武天皇の庶長子です。母の身分が低かったため皇太子には天智天皇の娘(後の持統天皇)を母に持つ草壁皇子が選ばれましたが、高市皇子はなんといっても672年壬申の乱で父大海人皇子(天武天皇)を助け美濃国不破で軍事…

奈良朝の風雲Ⅰ 平城遷都

皆さん、奈良時代についてどのような印象を抱かれていますか?私の勝手なイメージだと古墳時代から飛鳥時代に続く天皇中心の皇族政治から藤原摂関政治に移行する過渡期だったという感想を持っています。もちろん摂関政治の直接の始まりは藤原北家の冬嗣(775…

藤原四家の子孫たち

最近、一部の歴史系YOUTUBEで話題になっていた中公新書の『藤原仲麻呂』『刀伊の入寇』『中先代の乱』を買いました。時代ごとに読んでいこうと思い、現在『藤原仲麻呂』を読み始めています。若いころは一気に読了できたんですが、最近は寝る前に読むためなか…

太田道灌の子孫は遠州掛川五万石の大名になった

太田道灌と言えば知らない人は居ないと思いますが、念のために簡単に紹介すると室町時代代々関東管領職を世襲してきた山内(やまのうち)上杉氏の諸流扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家宰で、主家扇谷家を嫡流山内家と伍する存在に押し上げ関東を二分する大勢…

こういう歴史資料は大好物です

戦国武将羽柴秀吉が兵数指示した文書発見か?…中国攻め、城を海から攻撃! 常山城は岡山県玉野市の標高300mの常山山頂にあった山城です。場所から見ると備前に見えるんですがぎりぎり備中なんですね。ググってみると常山城は備中の戦国大名三村氏の姻戚に当…

たたら製鉄で使う木炭量

私の悪い癖は、一つの事に興味を持つとその関連も調べたくなることです。興味の無い方が大半だと思いますのでスルーしてください。 さて、前回の記事でたたら製鉄で使う砂鉄には赤目砂鉄と真砂砂鉄があり、中国地方日本海側など限られた所でしか採れない真砂…

たたら製鉄の話

一般の方は興味がないと思いますが、製鉄に関して調べていて面白いと思ったので記事にしました。とはいえ私は技術的なことに関しては全く素人でネット情報の受け売りですから間違った点があったら指摘してください。 日本で製鉄というと近世までは砂鉄を原料…

斎藤利三と石谷頼辰と長曾我部元親室

司馬遼太郎の作品に『夏草の賦』というものがあります。私の好きな歴史小説のひとつなんですが、主人公は四国の雄長宗我部元親。物語の冒頭、岐阜城主織田信長の家臣斎藤利三の妹菜々に降ってわいたような縁談が来ます。美濃でも評判の美人である菜々を娶り…

戊辰戦争 裏切った徳川恩顧の藩の言い訳

最近佐賀藩を中心に戊辰戦争における諸藩の動きを書いていますが、本来徳川家に殉じなければいけないはずの御三家、親藩、譜代の大半が幕府徳川家を裏切り新政府側に付きました。これを単純に裏切りと解釈するか生き残るために仕方なかったととるかは個人の…

唐津藩の幕末維新

マニアックな記事で申し訳ございません。最近佐賀県関連の歴史記事にはまっています。今回はいつもの佐賀藩ではなく佐賀藩とは脊振山地を挟んで北にある唐津藩です。現在の佐賀県は肥前国のうち佐賀藩領と唐津藩領が大半を占めます。他は対馬藩の飛び地基肄…

佐賀三支藩と竜造寺四家の人口

全く一般受けしないマニアックなネタで恐縮ですが、最近の佐賀藩シリーズの元ネタである『佐賀県の歴史』(山川出版)に貴重な資料が出ていたので書き写しました。 三支藩とは佐賀藩の公式初代藩主鍋島勝茂が自分の子供たちを封じた支藩、親類同格はいわゆる…

鍋島閑叟(かんそう)の改革と三支藩との確執

鍋島直正(1815年~1875年)、号して閑叟。幕末佐賀藩の実質的最後藩主です。形式上は1861年隠居し藩主の座を息子直大(なおひろ)に譲っていますが、実験は握り続けました。徳川幕府最後の将軍慶喜は維新後述懐します。「長州は最初から敵だったから憎くは…

勅使饗応役と赤穂事件

前記事で佐賀藩の支藩である小城藩、蓮池藩、鹿島藩が次々と江戸幕府から勅使饗応役に任ぜられ支藩の石高も本藩である佐賀藩の内高に含まれていたため、ただでさえ窮乏していた藩財政が負担激増で破綻寸前になったと書きました。勅使饗応役といえば有名な赤…

鍋島勝茂の覚悟と佐賀藩の悲劇

鍋島勝茂(1580年~1657年)と言えば公式には肥前佐賀藩36万石の初代藩主です。というのは父鍋島直茂(1538年~1618年)は実質的な藩主ではあっても公式には竜造寺家の執政という立場でした。直茂は竜造寺隆信の義弟で隆信の北九州制覇に活躍した武将です。…