鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

日本史

会津戦争4 『鳥羽伏見の戦い』

第2次長州征討は大失敗に終わり幕府の権威は失墜します。1866年12月、会津藩と容保の頼みの綱、孝明天皇が崩御されました。薩摩藩と長州藩は武力討伐で合意し薩摩派の公卿岩倉具視や新しく即位した明治天皇の外祖父中山忠能(ただやす)らを通じ長州藩朝敵赦…

会津戦争3 『長州征伐と薩長同盟』

八月十八日の政変に敗れ京都を追われた長州藩では、高杉晋作が身分に関わらず広く人材を集め奇兵隊を創設、表向きは幕府に恭順を装いながら来るべき反抗の準備を進めます。また久坂玄瑞、桂小五郎らは密かに京都に潜入し、長州派の公家と連絡を取り合ってい…

会津戦争2 『薩会同盟と新選組』

容保の京都守護職就任当時、京では浪士による騒擾が激しさを増していました。不逞浪士の逮捕は京都町奉行所の役目でしたが、あまりにも数が多く手に負えないため会津藩士が出動するケースが増えていました。容保は藩士に不浄の役目をさせるに忍びず、悩みま…

会津戦争1 『京都守護職』

江戸時代、美濃国石津郡高須(現在の岐阜県海津市)に高須藩3万石がありました。徳川御三家筆頭、尾張藩徳川家の支藩で尾張徳川宗家に嗣子が絶えたときこれを相続する役目を帯びていました。いわば徳川将軍家に対する御三家の役割の尾張徳川家版が美濃高須藩…

会津戦争序章『会津藩の成り立ち』

江戸期会津藩のあった会津地方は福島県の内陸部にありました。福島県の地勢は大きく3つに分かれます。すなわち奥羽山脈の西会津盆地を中心にした会津地方。奥羽山脈と阿武隈山地に挟まれた中通り。中通りは阿武隈川が中心を流れ主要幹線奥州街道が走っている…

奥羽越列藩同盟諸藩の事情

最近また戊辰戦争に興味を持ち『会津戦争のすべて』という文庫本を買いました。まだ手を付けてないんですが読了したら記事にするかもしれません。それはともかく、幕府に殉じ最初から薩長と敵対していた会津藩、庄内藩はともかくとして仙台藩、米沢藩はじめ…

徳川家の功臣大久保忠隣の子孫はどうなったか?

最近マニアックな記事が続いて申し訳ありません。たまたまYOUTUBEでNHK大河ドラマ『葵徳川三代』の切り取り動画を見ていたんですよ。関ヶ原で遅参した秀忠(西田敏行)に怒り「江戸へ追い返せ。顔も見たくないわ」と激怒する徳川家康(津川雅彦)。秀忠の軍…

幕末維新期に使われた銃の性能

最近幕末から戊辰戦争にかけての各藩の兵備に興味を持って調べているんですが、ネットでちょうどよい資料を見つけたので嬉しくなって紹介したくなりました。 ゲベール銃と言うのは火縄銃に毛が生えた程度の性能でして、銃身にライフリングも施されておらずマ…

日本の歴史的人口推移

たまたま日本の古墳時代の人口を調べていて、ついでなので縄文時代から現在に至るまでの日本の人口推移に興味が湧きました。と言っても古代の人口は確定しているわけではなく研究者によって数値が違うのであくまで参考程度に考えてください。 過去記事の鬼界…

光る君へに出てくる北宋商人朱仁聡の考察

例によってマニアックなネタなので歴史に興味ない方はスルーお願いします。 私は細かいことが気になってしまう性格です。NHK大河ドラマ『光る君へ』に出てくる北宋の商人朱仁聡は北宋朝廷の命を受け日本と交易をするために来日したと描かれています。あるい…

幕末維新期、スペンサー銃が普及しなかった理由

NHK大河ドラマ八重の桜を見ていた方は、主人公八重が兄山本覚馬から贈られた新式銃スペンサー銃で戦っていたシーンを覚えて居る方も多いと思います。ただ、私は日テレ年末時代劇『白虎隊』の大ファンなので山本八重は綾瀬はるかではなくスーちゃん(田中好子…

戊辰戦争時会津藩兵力

戊辰戦争時の各藩の兵力はどれくらいだったか気になり調べてみました。特に会津藩。会津藩は公称23万石ですが、幕府預け領5万石があり合わせて28万石だったと言われます。藩主松平容保が京都守護職に就任するにあたり幕府が気を使ってさらに天領の管理を会津…

奈良時代の税の話

マニアックな話で非常に恐縮なんですが、前記事で戦国時代~江戸時代の石高と年貢の話をしました。その最後に律令時代の税はどうなっているのか気になっていると書きましたが、ついでなのでちょっと調べてみました。と言ってもあくまでネット上で調べただけ…

石高と人口

最近、戦国時代から江戸時代にかけての経済を考えています。俗に米一石とは人間が一年間に食べる量とされ10斗、100升を現し約180リットルだそうです。これを米の重さに換算すると140㎏から150㎏になります。これだと何だか分かりませんが、米1合の千倍になり…

火国と筑紫国と豊国

本日の内容はまったく資料的裏付けがなく私の勝手な妄想なので与太話の類と受け取ってください。 古代日本の九州地方、火国(ひのくに)というのは肥前国と肥後国を合わせた地域でした。同じく筑紫国(ちくしのくに)は筑前、筑後。豊国(とよのくに)は豊前…

薩摩藩と琉球の石高

たまたま気になって調べたんですが、西国の雄で維新の原動力ともなった薩摩藩。関ヶ原の敗戦後外交の限りを尽くして幕府に本領安堵されますが、その時の石高は61万石だったと言われます。その後江戸幕府の許可を得て琉球に侵攻、琉球の石高11万石を合わせて7…

鬼界カルデラ噴火と縄文時代の人口大激減

日本は火山国だと言われます。世界の活火山の7%が日本にあると言われ、浅間山、御嶽山、阿蘇山、桜島などが有名です。記憶に新しいところでは、長崎県島原半島にある雲仙普賢岳が1991年6月に噴火し火砕流で43名の死者行方不明者を出しました。また2014年9月…

刀伊の入寇で活躍した藤原隆家の子孫たち

海音寺潮五郎の小説『海と風と虹と』(NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』の原作の一つ)で平将門と並ぶもう一人の主人公藤原純友が京都で初めて出会った将門に語った一節があります。 「今日(こんにち)の公家は国家に巣食う白蟻どもだ」と。純友は国家を運営…

熊本城

ちょうど、菊池一族の事を考えていたんですよ。菊池氏は南北朝時代15代菊池武光が征西将軍宮懐良親王を擁し一時は九州制覇するほどの勢いだったのに戦国時代衰退して、支流(一応嫡流とも言える)は日向国米良荘(西都市の西側山間部と西米良村の全域)に逃…

後南朝と熊沢天皇

久々の日本史でどマイナーな話題ですが、不思議書庫に入れたほうが良いかもしれません。 皆さんは後南朝という名称を聞いたことがありますか?おそらく学校の歴史教育ではほとんど出ないので知らない方が多いと思います。1392年室町幕府三代将軍足利義満の斡…

畠山重忠と惣検校職(そうけんぎょうしき)

マニアックな話題で申し訳ございません。大河ドラマ鎌倉殿の13人で畠山重忠が代々武蔵国惣検校職を受け継いできたという話が出ました。今回は惣検校職とは何か?について考えていきたいと思います。 その前に大前提として当時の地方行政の話をします。律令体…

佐々木氏の本貫の地佐々木庄はどこにあったか?

近江源氏佐々木氏。宇多天皇の玄孫源成頼が近江国佐々木庄に下向したことから始まる一族ですが、鎌倉中期以降、嫡流で近江守護になった六角氏、北近江と出雲、隠岐、飛騨の守護となった京極氏に分かれます。 京極氏は室町幕府の侍所頭人になれる家柄四職家(…

豊臣三中老のその後

本日の話題は非常にマニアックですのでスルーお願いします。 三中老というのは豊臣政権で五大老と五奉行の意見が合わないときに仲裁役として設けられたもので、生駒親正、堀尾吉晴、中村一氏が任ぜられました。ちょうど戦国時代をテーマにしたシミュレーショ…

鎌倉殿の13人の有名子孫たち

NHK大河ドラマで鎌倉殿の13人が始まって鎌倉時代への興味が再び湧いてきました。13人というのは頼朝死後二代将軍頼家が若く政治経験がなかったことから宿老13人が合議制で幕府を運営したもので歴史的には十三人の合議制と呼ぶそうです。 この合議制は幕府執…

土肥遠平と小早川氏

平安時代末期から鎌倉時代に渡る非常にマイナーな話ですので興味ない方はスルーしてください。 私は日向の戦国大名伊東氏が好きで、その関連で先祖の工藤祐経も好きだという話は以前書きました。世間一般では工藤祐経は曽我兄弟の仇討の敵役としてイメージが…

八重姫が強制的に嫁がされた江間小四郎は北条義時か?

今年の大河は鎌倉殿の13人。その中で新垣結衣演じる八重姫が悲劇のヒロインとして出てきます。八重姫は伊豆の豪族伊東祐親の三女で流人だった源頼朝と通じ一人息子千鶴丸を得ます。ところが京の大番役から帰ってきた父伊東祐親はこれを知り激怒。千鶴丸を殺…

刀伊の入寇余話 博多警固所

皆さん誰も興味ないと思いますが、私は一つの事に関心を持つと関連項目も調べたくなるという癖を持っていまして、刀伊の入寇で日本側防衛拠点になった博多警固所が気になっていました。 そこで調べてみると、古代から中世までの博多は西側が入江で今の福岡城…

刀伊の入寇Ⅲ 異族襲来

1019年刀伊の入寇は日本史上初の異民族の来襲だったわけですが、実はそれまでにも小規模な侵略は何度もありました。新羅末期の893年新羅賊が内海の有明海を横断し肥後国飽田郡(現在の熊本市西部)に侵攻、民家が焼亡し賊は肥前国松浦郡に逃亡したという記録…

刀伊の入寇Ⅱ 11世紀の日本

刀伊の入寇の起こった1019年がどういう年かというと、日本では藤原道長が従一位摂政・太政大臣として藤原摂関家の絶頂期にあった時期でした。道長の有名な和歌「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んだのは刀伊の…

刀伊の入寇Ⅰ 11世紀の東アジア

学生時代、日本史で何となく習ったので覚えている人も多いと思いますが、日本が外国から侵攻されたのは元寇、大東亜戦争とこの刀伊の入寇の三度しかありません。ところが他の二つと比べ刀伊の入寇に関してはほとんど実態が知られていませんでした。最近にな…