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八重姫が強制的に嫁がされた江間小四郎は北条義時か?

 今年の大河は鎌倉殿の13人。その中で新垣結衣演じる八重姫が悲劇のヒロインとして出てきます。八重姫は伊豆の豪族伊東祐親の三女で流人だった源頼朝と通じ一人息子千鶴丸を得ます。ところが京の大番役から帰ってきた父伊東祐親はこれを知り激怒。千鶴丸を殺し頼朝と別れさせます。八重姫も強制的に江間小四郎という身分の低い武士に嫁がされました。ところがこれには異説がいくつもあり、息子の死と頼朝と別れさせられたのを悲しみ身を投げたとも、頼朝を追っていくも追手に追い付かれて殺されたとも、別れさせられた後病気になり亡くなったともいわれはっきりしません。

 一応八重姫自体は実在の人物ですが、曽我物語などでいろいろ脚色されているのでどのような生涯を送ったかは分かりません。ここで問題にするのは八重姫ではなく江間小四郎の方です。実は江間小四郎は北条義時の事ではないかという説があるのです。というのも義時の幼名は小四郎。そして江間を領地にしていました。ですが調べてみると、この事件があったのは吾妻鑑によると1175年ころ。義時は1163年生まれですからこの時12歳くらい。いくらなんでもこれは無いだろうと思います。

 しかも義時が江間の地を得たのは頼朝の鎌倉政権ができた後だそうです。江間小四郎は義時の幼名と偶然一致しますが別人だろうと言われています。古来様々な人が推理していますが、私が一番納得したのは江間小四郎はもともと伊東氏側の人間で伊東祐親が頼朝に敵対した時味方になったという説です。そして伊東祐親が滅ぼされたとき一緒に殺された。江間の領主がいなくなったので鎌倉政権ができた後恩賞として義時に与えられたというもの。こう解釈するのが一番自然なんでしょうね。

 伊東祐親も平清盛の嫡男小松内大臣重盛の家人だったため、罪人の頼朝と自分の娘が通じたのを知って青くなったのでしょう。今を時めく平家に睨まれると滅ぼされかねませんから。逆に北条時政は頼朝と娘の政子が通じたのを利用してのし上がろうとした。この差が明暗を分けたのかもしれません。懐かしの大河ドラマ草燃えるでは頼朝は八重姫も政子も別に愛しているわけではなく後ろ盾として伊東氏や北条氏を利用するための方便だったと描いていましたが、案外これが史実なのかもしれません。

 現在とちがい昔は惚れた腫れたで結婚できるわけはありません。結婚は家同士が結び付く事。流人で何の後ろ盾がない頼朝にとっては伊豆の豪族を味方に付けるための最善の策だったと思います。こう書くと身も蓋もない話になりますが現実はこんなものです(苦笑)。