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刀伊の入寇で活躍した藤原隆家の子孫たち

 海音寺潮五郎の小説『海と風と虹と』(NHK大河ドラマ風と雲と虹と』の原作の一つ)で平将門と並ぶもう一人の主人公藤原純友が京都で初めて出会った将門に語った一節があります。

 「今日(こんにち)の公家は国家に巣食う白蟻どもだ」と。純友は国家を運営する立場でありながら荘園を経営し、あろうことか国衙領まで侵食して国家財政を傾けている摂関家をはじめとする上級公家どもを国家に寄生する害虫に例えたのです。それは藤原一門に連なりながら不遇をかこっている純友自身の義憤でもあり、同じ義憤を抱くであろう将門に共感してほしかったのだと思います。

 私も純友の意見に共感します。ですからいくら華やかでも藤原摂関家は大嫌いなのです。その中で唯一認めているのが藤原隆家です。過去記事で書いた通り平安時代の危機であった刀伊の入寇を退けた英雄でした。ただ、そのために時の最高権力者道長に疎まれ出世を阻まれます。

 私の印象では、道長とその子孫である摂関家に疎まれた隆家の子孫たちは不遇をかこったと思っていました。ところが、意外にも時代の節目節目で活躍していたことが分かりました。まず隆家の長男良頼の子孫ですが平安末期に平忠盛(清盛の父)の後妻池禅尼を出しています。彼女は、平治の乱の後、敵方であった源頼朝を清盛に助命して伊豆に流刑させています。ところが頼朝を生かしたばかりに挙兵され結局は平家を滅ぼす元凶となりました。

 隆家次男経輔(つねすけ)の長男師家(もろいえ)の子孫からは平安時代末期平治の乱を起こした張本人藤原信頼を出しています。後白河法皇の寵臣として増長し政敵であった藤原信西入道、平清盛を除こうとして乱を起こすのですから始末に負えません。結局敗北して斬首されるという哀れな末路でした。

 また経輔の四男師信の家系からは南北朝時代後醍醐天皇の近臣で武家を苛め抜く坊門清忠を出しています。NHK大河ドラマ太平記』でも憎たらしい存在でしたね。あの性格の悪さは隆家の子孫と言うより道長の子孫のようなイメージがありますが(苦笑)。

 坊門家の傍流からは羽林家【極官大納言を出す家格。摂家(摂政・関白になれる家系)、清華家(極官太政大臣)、大臣家(極官内大臣)に次ぐ4番目の家格】の水無瀬、七条、町尻、桜井、山井の五家が出て幕末まで続きました。

 紫式部の年の離れた夫藤原宣孝の兄説孝(ときたか)の子孫から有名な上杉氏が出て、NHK大河ドラマ『光る君へ』で益岡徹演じる左大臣源雅信の子孫から宇多源氏佐々木氏(六角氏が嫡流、庶流の京極家も有名)が生まれるなど先祖を調べると面白いですね。