たまたま日本の古墳時代の人口を調べていて、ついでなので縄文時代から現在に至るまでの日本の人口推移に興味が湧きました。と言っても古代の人口は確定しているわけではなく研究者によって数値が違うのであくまで参考程度に考えてください。
過去記事の鬼界カルデラの噴火で紹介したと思いますが、縄文時代も数が少ないながら人口が大きく変動しました。縄文時代は紀元前1万3千年前に始まり紀元前5世紀から紀元前3世紀頃終わったと言われます。ごく初期、紀元前1万年前は推定ですがわずか2万人しか日本列島に人が住んでいませんでした。
縄文時代は世界史的にみれば新石器時代にあたります。これまで狩猟しながら移動生活していた人々が定住し始めたのが縄文時代でした。この当時、狩猟採集の生活ですから2万人くらいがせいぜいだったのでしょう。その後縄文土器が発達し木の実などを備蓄できるようになると縄文中期ころには26万人まで増えます。
ところが、中期から晩期にかけて人口が8万人まで減少したのは鬼界カルデラの噴火などの自然災害と世界的な寒冷化の影響でです。その後再び人口は増加に転じますが、このころ縄文人たちは栗を栽培したり初期の稲作を始めたりして生活が安定化したからでしょう。
弥生時代は3世紀中ごろまで続きますが、稲作が本格化し集落も発展します。しかし豊かになれば争いも起こるので殺伐とした世の中になったと想像します。銅器、青銅器などの金属器が登場したのも弥生時代でした。鉄器も弥生時代から使われ始めますが、ご存じの通り初期の鉄器は鉄鉱石を溶かして鋳型に流し込むだけの鋳鉄で硬くはあっても、もろいものでした。
日本で鋳鉄を鍛えて強靭にする浸炭法が使われだしたのはたたら製鉄の6世紀ごろだと言われます。その弥生時代の人口ですが、農業生産力の向上で60万人まで増えたと言われます。それでも60万人くらいですから大したことありませんね。
弥生時代が終わって古墳時代が始まるとなんと500万人まで人口が増えたとされます。これは大和朝廷が日本をほぼ統一したからなのでしょう。実は古墳時代の人口を調べようと思ったのは、三韓征伐や白村江の戦いの時兵士を2万人から3万人動員したのは日本社会にどれくらい負担があったのか興味があったからでした。
通常人口の3%が外征兵力に使える数ですが、500万人なら15万人くらいまでは動員できますね。これはあくまで推定人口ですから、私は実際の人口はもっと少なかったのではないか(250万人くらい?)と考えます。もっとも兵役人口3%説はローマ帝国や秦漢帝国など中央集権の古代国家の数値ですから、古代日本の場合はもっと少ない比率しか動員できなかっただろうと思います。
当時の兵站能力なども考えると3万人くらいが外征兵力の限界だったのかもしれません。過去記事で何回も書きましたが、古代の朝鮮半島南部には和人が住んでいて三韓征伐の日本軍の兵力の中には現地で徴兵した分も入っていると思います。
その後日本の人口は奈良時代、平安時代、鎌倉時代を通じて人口500万人から600万人とあまり増加していません。これが急激に増えたのは室町時代以降です。農業技術の向上と新田開発が続いた結果なのでしょう。平安時代、荒れ地を開墾して荘園が全国に普及しましたが、それほど人口が増えなかったのは都の貴族どもが国衙領を蚕食していた分が多かったのかもしれませんね。まさに国家に巣食うシロアリどもですよ。
江戸時代初期で人口1700万人。そこから人口は飛躍的に伸び江戸末期には3400万人の人口を誇る堂々たる大国でした。明治時代にも順調に増え明治末期で人口5000万人にもなりました。大東亜戦争直前の人口は7300万人。戦後1億人の大台を突破し2008年には1億2800万人とピークを迎えます。しかしその後少子化問題などで緩やかな減少に転じ、2100年ころには5000万に程度まで減ると言う予測もあります。
ただ日本の耕地面積、農業生産力から輸入を全く考慮しない場合人口4000万人くらいが適正人口だそうですから、最終的にはそれくらいまで減るかもしれませんね。少子化対策は日本の安全保障にもかかわる重大な問題です。政府は利権でごまかすことは絶対にせず真剣に取り組んでもらいたいと願うばかりです。