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鎌倉殿の13人の有名子孫たち

 NHK大河ドラマで鎌倉殿の13人が始まって鎌倉時代への興味が再び湧いてきました。13人というのは頼朝死後二代将軍頼家が若く政治経験がなかったことから宿老13人が合議制で幕府を運営したもので歴史的には十三人の合議制と呼ぶそうです。

 この合議制は幕府執権北条氏が次々とライバルになりそうな有力御家人を滅ぼしたので早晩崩れます。そして執権北条氏による独裁体制へと移行するのです。では彼ら13人の子孫がどうなったか気になりますよね。有名どころだと大江広元の子孫は戦国大名毛利氏で江戸時代も周防長門37万石の大名として幕末まで続きます。それ以外の御家人はどうなったのでしょうか?

 

◇三浦氏  

 1247年宝治合戦で北条氏に滅ぼされる。傍系から嫡流を継いだ三浦氏は伊勢宗瑞(北条早雲)に滅ぼされる。庶流は会津戦国大名蘆名氏になるがこれも伊達政宗に滅ぼされる。

 

◇和田氏

 初代侍所別当和田義盛は1213年和田合戦で北条氏に滅ぼされる。義盛三男朝比奈義秀のみが生き残る。戦国時代駿河今川氏に仕えた朝比奈氏は義秀の子孫だと言われる。

 

◇比企氏

 1203年比企能員(よしかず)の変で北条氏に滅ぼされる。族滅に近かったので子孫がどうなったか不明。

 

◇八田氏

 八田氏初代知家は宇都宮一族で常陸守護。彼の子孫は小田氏を名乗り戦国最弱武将として名高い小田氏治は彼の子孫。何回落城しても復活しているんだから領民には愛されていた模様。

 

◇安達氏

 1285年霜月騒動で北条氏に滅ぼされる。北条氏というより実質的には北条氏の内管領平頼綱の主導ではあったが。これも族滅に近く有名子孫は不明。

 

◇足立氏

 こっちの足立氏は目立たない存在。足立氏も霜月騒動に巻き込まれ滅びている。子孫は丹波国氷上郡佐治郷の地頭になり明智光秀に仕えたと言われる。

 

◇梶原氏

 私は草燃えるの大ファンなので景時を演じた江原真二郎のイメージが強い。景時は東国武士に珍しい有能で教養のある武士だったがあまりにも官僚気質だったため他の御家人に嫌われ1200年御家人66名の弾劾で失脚、京都に逃れようとするも北条氏の追手に攻められ滅亡。子孫は奥州、下野、武蔵、尾張、讃岐に残った。

 

◇二階堂氏

 藤原為憲流なので工藤氏(伊東氏)と同族。子孫は全国各地に広がるが、奥州須賀川城主の戦国大名二階堂氏が一番有名か?

 

◇中原氏

 中原親能大江広元の実兄。子孫は下級貴族の押小路家の他、三池氏や鹿子木氏ら肥後や筑後の小大名になったものが多い。親能が筑後肥後の守護になったことと関係していると思う。熊本の戦国ファンなら鹿子木寂心をあげるだろうが全国区ではないので誰も知らないだろうな。隈本城(加藤清正の熊本城の前身)の築城者なんだけどね。

 

◇三善氏

 康信は初代幕府問注所執事。大江広元と並ぶ有能な官僚だった。子孫は筑後国行葉郡に所領を持ち問注所氏になった。問注所氏は豊後の大友氏の圧迫を受け被官化する。最後は柳川藩立花家に仕えた。

 

◇大江氏

 大江広元は初代幕府政所別当。1221年承久の乱で京都守護だった広元長男親広失脚。1247年宝治合戦では広元四男毛利季光が三浦氏に味方して討たれる。広元次男長井時広が嫡流として残るが、南北朝時代伊達氏に滅ぼされる。毛利季光の四男経光が安芸国吉田荘に下向し戦国大名毛利氏になった。

 

 残りの二人は北条時政、義時父子なので説明不要でしょう。鎌倉幕府の十三人の宿老の子孫を調べるのは面白いですね。非常に楽しかったです。