鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

2012-06-01から1日間の記事一覧

承久の乱    後編

後鳥羽上皇は、朝敵になった義時に従うものは千人もおるまいとたかをくくっていました。 北条氏に不満を持ち宮方に奔った三浦胤義(義村の弟)などは 「兄に日本総追捕使の位を授けられますなら、必ずお味方に付く事でしょう」と上皇の機嫌を取ります。 上皇…

承久の乱    前編

1219年2月2日、鎌倉からの急使が京都に到着します。鎌倉三代将軍源実朝が暗殺されたという報告は京の朝廷にも強い衝撃を与えました。 このとき朝廷を主導していたのは後鳥羽上皇。日本一の大天狗と言われた後白河法皇の嫡孫で歌道、管弦など芸術に通じるば…

おいおい消費増税どころではないぞ!(怒)

【政治】 筒井副大臣 「機密のはんこのない文書は渡した」 書記官が関与していた対中輸出促進事業に関連する農林水産省の機密文書が外部に漏れていた問題で、事業を主導した同省の筒井信隆副大臣は1日、省内で報道陣に対し、「(事業の運営団体の代表に)機…

三代将軍実朝の悲劇

梶原景時粛清、比企一族の討滅、畠山重忠粛清、和田合戦は北条氏の権力奪取の歴史であると同時に源氏将軍の権力が奪われていく歴史でもあったといえます。 梶原、比企については直近の記事、畠山重忠の乱については過去記事で紹介していますので、和田合戦…

比企能員(ひき よしかず)の変と頼家最期

最初に人間関係が分からなくなると思って自作の関係系図を作成しました♪ 皆さま鎌倉時代に興味ないでしょうし、血生臭い権力闘争はあまりお好きじゃないと思いますが、北条氏がどうやって鎌倉幕府の権力を掌握したか御紹介したいと思いまして記事にした次第…

梶原景時粛清事件

源平時代の歴史をちょっとかじった方や源義経ファンの方から見ると梶原景時は義経を兄頼朝に讒言し陥れた大悪人というイメージを抱いていると思います。 しかし、よくよく調べて見ると景時は忠臣であり任務に忠実であっただけだと私は考えます。義経を讒言…