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刀伊の入寇Ⅰ 11世紀の東アジア

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 学生時代、日本史で何となく習ったので覚えている人も多いと思いますが、日本が外国から侵攻されたのは元寇大東亜戦争とこの刀伊の入寇の三度しかありません。ところが他の二つと比べ刀伊の入寇に関してはほとんど実態が知られていませんでした。最近になって『刀伊の入寇』(関幸彦著 中公新書)が出たくらいです。

 本シリーズでは『刀伊の入寇』(中公新書)を軸に当時の東アジアと日本の状況を踏まえ見ていこうと思います。刀伊というのは聞き慣れない言葉ですが、実は民族名ではありません。高麗が彼らを東夷(古朝鮮語で『とい』)と呼んだのが語源だそうです。刀伊は日本側の当て字でした。刀伊の入寇が起こったのは1019年です。当時の朝鮮半島は高麗王朝(918年~1392年)が成立していました。高麗は王建が建てた王朝ですが、彼は純粋な朝鮮民族ではなくツングース系の女真族出身だと言われます。ついでに言うと高麗の次の李氏朝鮮を建てた李成桂女真人だとされます。

 この段階では朝鮮民族は成立しておらず各地から集まった様々な民族が雑居していただけだとも言われます。高麗以前の高句麗百済ツングース系の扶余族の建てた国、新羅に至っては三つの王統(金、朴、昔)のうち昔氏は日本人の可能性が濃厚です。これは過去記事(新羅日本人国王説)で検証しています。加えて古代の稲作伝播の過程で朝鮮半島南部にも和人が住んでおり任那日本府は植民地総督府ではなく日本の地方行政組織に過ぎないと思っています。ですから半島南部に日本式の前方後円墳が残っているんです。韓国政府は歴史の真実が発覚するのを恐れかなりの日本式古墳を破壊したそうですがこういう態度がノーベル賞を取れない理由なんでしょう。

 話が脱線したので本題に戻すと、高麗は建国はしたものの未だに安定した半島支配が出来ていなかったと言われます。それは新羅末期の混乱から続き、900年から935年には後百済が登場し慶尚道を除く半島南部から平壌あたりまでを支配していました。899年には後高句麗も建国され918年まで続きます。こちらは最盛期には京畿道あたりから咸鏡道の南端辺りまで支配しました。ですから915年頃の新羅は元の慶尚道くらいしか支配領域を持っていないほど弱体化していました。

 実は王建は、新羅ではなく後高句麗の将軍でした。918年後高句麗王弓裔(きゅうえい)をクーデターで追放、自らの高麗王朝を建てます。新羅王の側室の子として生まれ一代で後高句麗王朝を開いた弓裔でしたが、猜疑心が強く妻子を殺し臣下も数多く粛清したため人心を失っていたそうです。その末路も哀れで逃亡する途中、平康というところで飢えをしのぐため畑の作物を盗もうとして村人に発見され殺されました。

 王建は、935年新羅、936年後百済を滅ぼし朝鮮半島を統一します。とはいえこれはあくまで表面上でその支配は隅々までは行き渡っていませんでした。特に半島東部には満洲から沿海州にかけて広く分布していたツングース遊牧民が進出していました。エベンキ族などもその一つです。これらの民族を総称して女真族(後の満洲族)と呼びますが、住んでいる地域によって生活形態はだいぶ変わっていたと言われます。女真族の中心(半農半牧)はだいたい興安嶺山脈の東麓から沿海州の境にかけて。沿海州には同じツングース系の粛慎(しゅくしん)が住んでいました。粛慎は古代シナの史書に出てくる狩猟を生業とし沿岸部では漁労もしていた民族でした。シナの史書では紀元前、日本の史書では6世紀に粛慎(みしはせ)として出てきます。『みしはせ』と粛慎が同一民族か史家の意見は分かれるそうですが、ツングース系で狩猟と漁労をする同系の民族であったことは間違いないと思います。

 高麗王朝は、これらツングース系民族の統治に非常に苦労します。さらに追い打ちをかけたのは満洲の西部から熱河省あたりにいたモンゴル系の契丹民族が勃興し遼を建国したことです。純粋な遊牧民族である遼の軍隊は強力で女真族でさえ服属を余儀なくされます。南は宋を圧迫し、933年には高麗にも侵攻しました。高麗は遼の騎兵に太刀打ちできず首都開城を落とされ降伏、属国となります。

 女真族は遼の支配に嫌々従っていましたが、沿岸部のかつて粛慎と呼ばれた一部のツングース系民族は遼の支配を受け入れず独立的な動きをしました。遼が討伐軍を送っても船で海上に逃げるため捕捉できず、結局遼はこの地域を放棄します。刀伊と言われるのは遼の支配を脱した粛慎の後裔たちだと想像できます。刀伊は遼が交易を拒絶したため必然的に海賊として沿岸部を略奪するしか生きる道がなくなります。最初の標的は高麗でした。高麗は遼の属国となり辺境支配も弱かったため刀伊の海賊たちにとっては格好の標的になります。その流れが日本にまで来て刀伊の入寇になったのです。

 

 次回は、11世紀の日本側の事情を見ていきましょう。