鳳山雑記帳はてなブログ

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日本史

日本史上難攻不落の城一覧

手抜き記事で申し訳ない。世界史難攻不落シリーズで精力を使い果たし、日本編は簡単に紹介するにとどめます。さらにランキング形式も止めます。時代背景、条件によって変わりますので。 【沼柵】 平安時代中期、後三年の役の主要舞台の一つ。秋田県横手市。…

越前守護代甲斐氏の没落

よほど日本史に詳しい方じゃないとご存じないと思いますが、甲斐氏は越前・尾張守護で三管領家(室町幕府の最高職管領になれる家柄、斯波・細川・畠山氏のこと)斯波武衛家(斯波氏の嫡流)の執事(筆頭家老)を務めた家です。 越前(現在の福井県の大部分)…

遊女の子供だとされる歴史上の人物

先日NHKでおそらく応仁の乱関連の番組だと思いますが、畠山義就(よしなり)のことを「よしひろ」「よしひろ」と連呼していたことに非常に違和感を覚えました。義就が偏諱を与えた人物、遊佐就家や遊佐就盛の就は普通「なり」と呼ばれることが多いんですから…

平安奥羽の戦乱Ⅺ 最後の勝利者(終章)

源義家、清原清衡の連合軍が再び陸奥を発したのは1087年夏でした。春の予定がずれ込んだのは、前回の失敗を懲り十分な兵糧を準備したからかもしれません。義家の威信にかけても今回は負けられない戦でした。弟新羅三郎義光の参加があり、地盤の関東から参加…

平安奥羽の戦乱Ⅹ 後三年の役

清原家衡が自邸のある陸奥国奥六郡ではなく出羽国仙北三郡の沼柵に籠城したのは、なんと言っても清原氏の本拠地であり一族の助力が期待できたからでした。奥六郡は滅亡した安倍氏の勢力が強く、安倍頼時の娘(有)と藤原経清の子である清衡に味方するものが…

平安奥羽の戦乱Ⅸ 骨肉の争い

※ 清原家衡 陸奥守源義家の命で兄清衡の豊田館に入った家衡。兄弟の母有も同行したそうです。母にとっては久々に訪れた親子団らんの時でした。しかし清衡と家衡の間には表面上の和やかさと違い冷たい空気が流れます。おそらく清衡は弟家衡に決して気を許して…

平安奥羽の戦乱Ⅷ 清原一族の内訌

清原真衡の挑発に乗り出羽の領地に戻った吉彦秀武。吉彦氏のルーツは俘囚の吉美侯部(きみこべ)から来ているとも、毛野(けぬ)地方(栃木、群馬)の豪族毛野氏の一族が大和朝廷の出羽征服に従ってこの地に至り俘囚の長となったとも言われます。吉彦氏の本…

平安奥羽の戦乱Ⅶ 運命の子

鎌倉時代の源氏を中心とした歴史を記した『吾妻鑑』によると、安倍頼時には三人の娘がいたそうです。長女は有加 一乃末陪(ありか いちのまえ、生没年不詳)といいました。次女は中加一乃末陪、三女が一加一乃末陪です。明らかに蝦夷風の名前ですから便宜的…

平安奥羽の戦乱Ⅵ 厨川柵陥落

清原氏参戦で形勢は完全に逆転します。小松柵攻略後9月5日まで長雨が続き源氏軍は動きが取れませんでした。安倍貞任は数千の手勢を率い源氏軍に奇襲を試みますが失敗に終わります。頼義は直ちに追撃を命じ途中にある柵を次々と攻略、敵の本拠地衣川柵を包囲…

平安奥羽の戦乱Ⅴ 外交戦

※ 清原武則 日本史で清原氏と言えば舎人親王を始祖とする皇別氏族。平安時代には中級貴族となり清少納言が有名です。出羽清原氏はこの清原氏の後裔を称しますが良く分かりません。出羽国府の在庁官人だったことは確かですが、朝廷から出羽の俘囚長に任命され…

平安奥羽の戦乱Ⅳ 黄海(きのみ)の合戦

亘理権大夫藤原経清の寝返りで源頼義の作戦は安倍軍に筒抜けになります。衣川柵を中心に領内各地の柵で頑強に抵抗する安倍軍を攻めあぐねた頼義は、奥六郡のさらに北、糠部の蝦夷(現在の八戸市を中心とした青森県東部)に使者を出し安倍氏を南北から挟撃し…

平安奥羽の戦乱Ⅲ 安倍頼時起つ

清和源氏の主流となった河内源氏と関東の関りは、頼義の父で河内源氏初代頼信が朝廷の命を受け1028年房総半島で起こった平忠常の乱を平定してからです。頼信は反乱鎮圧に際し関東の武士たちを動員し主従関係を結びました。頼義は、父頼信の勢力を引き継ぎ関…

平安奥羽の戦乱Ⅱ 鬼切部の戦い

平安時代の奥羽地方を揺るがした前九年の役の原因は諸説あります。一つは奥六郡の郡司として強大な勢力に成長した安倍氏を危険視し陸奥守藤原登任(なりとう)が故意に仕掛けたという説。あるいは奥六郡の金を独占しようとした登任が邪魔になった安倍氏を挑…

平安奥羽の戦乱Ⅰ 11世紀の奥羽

1993年NHKで放送された大河ドラマ『炎(ほむら)立つ』。藤原経清を主人公に前九年の役を描く第一部、その子藤原清衡を主人公に後三年の役を描く第二部、奥州藤原氏最後の当主泰衡を主人公に奥州藤原氏滅亡を描く第三部の三部構成で私の中では五本の指に入る…

徳川四天王の最終領地

何気なしに戦国武将の鎧をネットで見ていたんですが、本多忠勝の有名な鹿の角の兜を見つけた時「そういえば本多家は幕末にはどこが領地だったんだろう?」と気になりました。せっかくなので徳川四天王全て調べてみることに。 ちなみに徳川四天王を知らない人…

薩摩藩の幕末維新余話

薩摩藩の幕末維新を書き終えましたが、余韻が冷めやりません。本編では書ききれなかったエピソードがいくつかあるのでご紹介します。 薩軍に参加した熊本県の部隊は、宮崎八郎の協同隊の他に池辺吉十郎、佐々友房を指導者とする熊本隊7百名がいました。こち…

薩摩藩の幕末維新Ⅺ 城山に消ゆ(終章)

西郷軍が人吉盆地から宮崎県に入った時3千人程度に減っていました。新政府軍はこれを鎮圧するため第1旅団、第2旅団、第3旅団を主力とする7万人にも及ぶ大部隊を集めます。すでに三月七日西郷軍の根拠地鹿児島に官軍千数百名が上陸占領していました。官軍には…

薩摩藩の幕末維新Ⅹ 田原坂

熊本県北部、玉名郡玉東町から熊本市北区植木町の間にそびえる小丘陵があります。比高わずか60mながら1.5㎞にもわたるだらだら坂が続き、道の両側には堤防のような土手がそびえていました。この土手は、加藤清正が秀頼を擁して関東の大軍と戦うために整備さ…

薩摩藩の幕末維新Ⅸ 西南戦争

明治十年二月挙兵が決まった薩摩軍ですが、方針を巡っては分かれます。西郷の弟小兵衛は長崎を奇襲し軍艦を奪取、一気に海路を進んで東京に上陸する案を主張します。桐野利秋は、かつて熊本鎮台司令官だったことから「百姓兵が守る熊本鎮台など恐るるに足り…

薩摩藩の幕末維新Ⅷ 私学校

征韓論を巡る政変、明治六年(1873年)の政変で野に下った人材は参議の半分、軍人官僚600名にも及びました。ガタガタになった内政を立て直すため同年11月内務省が設立されます。内務省は地方行政だけでなく、警察、土木、衛生、国家神道と広範囲に権限が及び…

薩摩藩の幕末維新Ⅶ 明治六年の政変

明治二年(1869年)、薩摩藩、長州藩、土佐藩の上表という形で行われた版籍奉還。これは各藩が支配する土地と領民を朝廷(新政府)に返還するという政治改革ですが、藩境はそのまま、旧藩主を藩知事に任命するというもので、江戸時代の社会体制と実質的には…

薩摩藩の幕末維新Ⅵ 戊辰戦争

鳥羽伏見の戦いの結果朝敵となった旧幕府。決して本意ではなかったが結果として朝敵となった徳川慶喜。薩摩藩を主導していた西郷大久保らの真意は、徳川家を滅ぼさない限り明治維新は成り立たないという強い意志でした。現実的な話をすると、新政府と言って…

薩摩藩の幕末維新Ⅴ 鳥羽伏見の戦い

長州藩で椋梨藤太ら恭順派をクーデターで倒し、桂小五郎、高杉晋作を中心とする尊王攘夷派が武装強化し幕府に反抗の姿勢を示し始めると、将軍後見役一橋慶喜をはじめとする幕府強硬派は今度こそ長州藩を完膚なきまでに潰し、幕府に批判的な諸藩を震え上がら…

薩摩藩の幕末維新Ⅳ 薩長同盟

島津久光は藩兵千人を率い上洛、調停工作により勅許を受け幕府に一橋慶喜の将軍後見役を認めさせるなどある程度の成功を収めると朝廷に対する働きかけは少なくなります。一方長州藩は周布政之助、桂小五郎らが中心となり藩論を公武合体から攘夷決行に統一、…

薩摩藩の幕末維新Ⅲ 薩英戦争

1858年名君斉彬の死後、薩摩藩主となったのは異母弟久光の子忠義でしたが、後見として藩の実権を握ったのは久光ではなく、当時まだ生きていた斉彬、久光の父斉興でした。斉興は斉彬の政策をことごとく否定し集成館事業も閉鎖状態となります。斉興は翌1859年…

薩摩藩の幕末維新Ⅱ 島津斉彬の改革

島津斉彬(1809年~1858年)は十代藩主斉興の長子です。幼少期から利発で曾祖父重豪に可愛がられました。豪放磊落な重豪に影響され斉彬も洋学に興味を持ちます。ところが周囲からは蘭癖と評され警戒されました。せっかく好転した藩財政が斉彬の代に浪費され…

薩摩藩の幕末維新Ⅰ 調所広郷

島津氏第二十五代、薩摩藩主としては第八代、島津重豪(しげひで、1745年~1833年)が藩主となった時、500万両という膨大な借金がありました。これは幕府の外様大名圧迫政策で各地の治水土木工事を命じ外様大名が力をつけないようしたのです。特に1753年の木…

大坂冬の陣の時、大坂城にはどれくらい兵糧があったか?

先日ブックオフで『戦国の籠城戦』(別冊歴史読本 新人物往来社)という本を買いました。古本は当たり外れが大きいのですが、これは大当たりの部類。月山富田城、三木城、上田城など有名どころの籠城戦と戦国城郭の構造、兵糧事情など有意義な情報が載ってい…

蔚山(うるさん)城の戦い 紙一重の勝利

韓国慶尚南道、日本海に面した人口116万の港湾都市蔚山(うるさん)。ここはかつて朝鮮の役の時加藤清正を大将とする日本軍が明将楊鎬率いる明・朝鮮連合軍5万余を迎え撃ちぎりぎりのところで勝利した蔚山城の戦いがあった場所です。 蔚山城は、日本軍が朝鮮…

出雲尼子軍記Ⅸ 上月城に消ゆ(終章)

大黒柱元就を失っても、毛利家は輝元を二人の叔父吉川元春、小早川隆景が補佐し盤石の構えを見せていました。一方、山中鹿助ら尼子再興軍は多くの同志を戦で失い、ある者は毛利方に寝返り、鹿助の叔父立原久綱、娘婿亀井茲矩(これのり)らわずかばかりとな…