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日本の戦争Ⅷ  ミッドウェー海戦1942年6月

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 ミッドウェー島の名前の由来は北米大陸ユーラシア大陸のちょうど中間にあるからだそうです。太平洋の地図を見てもらうと分かる通り絶海の孤島。ただしハワイ諸島にはより近く2310km。日本がミッドウェー島攻略を決意したのはここから一式陸攻でハワイを爆撃できるからだという説を聞きますが、一式陸攻は爆装したら2500kmしか航続距離がありませんから事実上不可能だと分かります。片道分です。

 とすればミッドウェー島占領の意図が不明です。占領自体は簡単にできるでしょうが、補給線は維持できません。それこそ米潜水艦の通商破壊でぼろぼろになりガ島以上の消耗戦となり全滅は必定です。ミッドウェー作戦の意義を考えるなら、この島を囮にし米機動部隊をおびき出し撃滅するという事以外なかったはず。

 山本五十六連合艦隊司令長官がミッドウェー作戦を主張したとき最初その作戦目的は敵機動部隊撃滅でミッドウェー島攻略は念頭に無かったはず。当然、軍令部は上にあげた理由で山本案に難色を示しました。ところが山本はこれが容れられないなら長官職を辞任すると強硬に主張します。私は、山本がその前のドーリットル爆撃機隊による初の本土空襲(実害はほとんどなかった)に焦っていたとしか思えないのです。さらに不可解なのは山本が自分の作戦意図を軍令部にも実際に部隊を動かす第1航空艦隊にも徹底しなかった事。

 作戦目的も曖昧で敵機動部隊撃滅が主目的かミッドウェー島攻略が主目的か不明でした。しかもアリューシャン作戦まで同時に行うという複雑怪奇なものに発展します。俗に利根の索敵機の遅れが…とか、爆装から雷装への転換の遅れが…とか敗因が取り沙汰されますが、作戦目的が曖昧な以上南雲長官以下現場指揮官に責任を負わせるのは酷だと思います。

 私は、ミッドウェー島は囮で主目的は敵機動部隊だと徹底して示すべきだったと考えています。そして無意味に作戦を拡大せずミッドウェー作戦一本に絞るべきでした。歴史のIFは禁物ですがあえて私は言いたいのです。例えばアリューシャン作戦に向かった角田覚治少将(当時)の第4航空戦隊。軽空母「龍驤」(36機搭載)と商船改造ながら正規空母の「隼鷹」(51機搭載)があり、例え搭載機が96艦戦だとしても急降下爆撃機雷撃機を撃退するには十分でした。これらがミッドウェー方面に向かった第一航空艦隊に属していたら、敵の攻撃も分散し虎の子の正規空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)が全滅することはなかったはず。

 作戦は単純明快で、末端の兵士に至るまで作戦目的が理解され意志が統一されているのが理想とされます。ところが今回のミッドウェー作戦は、上級司令部でさえ目的が曖昧なまま戦われました。これでは勝つことは難しい。しかも米軍は暗号解読で日本軍の作戦意図を完全に見抜いていました。

 ともかく様々な問題をはらみながらミッドウェー作戦(MI作戦)は発動します。主力は真珠湾攻撃以来の主役南雲艦隊(第1航空艦隊)。先の珊瑚海海戦で消耗した第5航空戦隊(瑞鶴、翔鶴)は再編成のため参加せず、正規空母×4、高速戦艦×2、重巡×2、軽巡×1、駆逐艦×12の兵力。ほかにアリューシャン攻略部隊として角田戦隊を含む正規空母×1、軽空母×1、重巡×2、駆逐艦×3の第5艦隊(細萱中将)主力。さらにはキスカ島攻略の舞鶴第3特別陸戦隊、アッツ島攻略の北海支隊を乗せた輸送船団を護衛する軽巡×3、駆逐艦×8、細萱中将直率の重巡×1、駆逐艦×2、その他駆潜艇などは後に続きました。

 そして山本長官は、旗艦戦艦大和に座乗し第1航空艦隊の後方を進みます。その戦力は巨大で戦艦×7(大和、武蔵、長門、伊勢、日向、扶桑、山城)、軽空母×1(鳳翔)、軽巡×3(川内、大井、北上)、駆逐艦×17という陣容でした。さらにはミッドウェー攻略部隊を護衛する近藤信竹中将率いる第2艦隊(高速戦艦×2、軽空母×1、重巡×8、軽巡×2、駆逐艦×20、水上機母艦×2)もあります。御覧の通り大日本帝国海軍連合艦隊の総力を挙げた布陣です。

 日本海軍は、珊瑚海海戦でヨークタウンが損傷したので敵機動部隊が出てくるにしても正規空母は2隻(エンタープライズ、ホーネット)だけだろうと楽観視していました。ならばこちらは4隻もあり楽に勝てると踏んでいたのでしょう。開戦以来連戦連勝で驕りがあったことは否定できません。ところが実際は、応急修理を行ったヨークタウンは出てきました。フレッチャー少将の第17任務部隊、スプルーアンス少将の第16任務部隊合わせて正規空母×3、重巡×7、駆逐艦×15の戦力が日本海軍機動部隊を待ち構えていました。

 1942年6月5日午前1時30分、ミッドウェー島爆撃の第1次攻撃隊108機が発進します。攻撃隊は2時間後ミッドウェー島の航空基地を空襲しますが、「爆撃の効果不十分」として「第2次攻撃の要あり」と発信しました。南雲機動部隊は、索敵しても敵艦隊を捕捉できなかったので「この海域に敵機動部隊は居ない」と誤判断します。ところがスプルーアンス少将の第16任務部隊は、すでに索敵機によって5日午前6時ころには日本艦隊の正確な位置を把握していました。遅れて日本側も敵機動部隊を把握します。第2航空戦隊の山口多聞少将は「直ちに攻撃隊発進の要ありと認む」と打電しました。後に問題となるのは、ここでの爆装から雷装への転換問題です。私は山口少将の言うとおり爆装で敵空母の飛行甲板に穴をあけるだけでも良かったのではと考えます。

 まず第16任務部隊のエンタープライズとホーネットから、次いでフレッチャーの第17任務部隊のヨークタウンから攻撃機隊が発進しました。最初の来襲は第1次攻撃隊収容中でしたが散発的だったため直衛の零戦隊に撃退されます。ところがヨークタウンの雷撃機隊に引きつけられ零戦隊が低空に降りたため上空はがら空きになりました。5日12時20分、空母甲板上に第2次攻撃隊が揃い今にも発進しようとした時、エンタープライズのSBDドーントレス雷撃機隊27機が、まさにがら空きの上空から襲いかかってきたのです。

 ドーントレスの545kg(1200ポンド)爆弾が赤城に2発、加賀に4発、蒼龍に3発直撃し3隻の空母は瞬く間に炎上します。第2航空戦隊司令長官山口多聞少将座乗の飛龍は離れた位置にあったため無事でした。山口少将は、残された攻撃隊でこの時発見していた敵空母ヨークタウンに集中攻撃を掛けます。ヨークタウンは飛龍から発進した攻撃機隊の攻撃を受け魚雷2発被弾し沈没はしなかったものの戦闘能力を失いました。翌日修理のためにハワイに廻航途中、日本の伊168潜水艦が発見し魚雷で撃沈します。

 一方、飛龍は米機動部隊の集中攻撃を受けました。満身創痍の飛龍は山口少将とともに海に沈みます。軍人らしい潔い最期だとは思いますが、有能果断な山口少将の死は日本海軍にとって痛手でした。できれば生き残って後の海戦を指揮してほしかったと思います。日本にとって虎の子の4隻の空母喪失も痛手でしたが、山口少将を失うのはそれに匹敵する痛恨事でした。


 ミッドウェー海戦大敗北、我が軍の正規空母4隻沈没の報を受けた山本連合艦隊司令長官は6月6日午前2時55分、ミッドウェー作戦中止を命じます。山本の主力艦隊は第1航空艦隊の550km後方を進んでおりどちらにしろ間に合いませんでした。もっとも間に合ったところで敵艦載機の餌食になっただけだとは思いますが…。それよりも何度も言いますが角田少将の第4航空戦隊の2隻の空母が戦場にいたら、私はこの事が最大のIFだったと考えます。

 ミッドウェー海戦は、日米が攻勢と守勢を入れ替えた戦いだったと思います。造船能力の劣る日本は以後米海軍に勝る空母戦力を持つ事はありませんでした。一方、アメリカは月産空母とまでいわれた正規空母エセックス級終戦までになんと17隻(戦後も含めると24隻)も就役させます。その他護衛空母は50隻以上量産されイギリスにレンドリースで貸与されるほどでした。

 守勢に回った日本軍の最初の試練はガタルカナル島攻防戦を含むソロモン諸島の戦いです。この戦いも日本軍のさまざまな弱点が露呈したものでした。まずはガタルカナル島上陸と第1次ソロモン海戦から話を進めていくこととしましょう。