鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

日本の戦争Ⅶ  珊瑚海海戦1942年5月8日

イメージ 1

 軍事用語に「攻勢終末点」という言葉があります。もとはクラウゼビッツの「戦争論」が出典ですがその国の補給能力の限界でこれ以上進出するとジリ貧になるというぎりぎりの限界点の事です。私はニューギニアガダルカナルを含むソロモン諸島はこれに当たると考えています。

 日本の国力の限界を考えると、南方資源地帯と本土を結ぶフィリピン、パラオなどの内南洋、いわゆる絶対国防圏が攻勢終末点ではなかったかと思うのです。その意味では占領しても維持できないミッドウェー作戦もガダルカナル進出も必要無かったし、そこで消耗する兵力を絶対国防圏強化に充てていたら最終的な敗北は変わらなかったにしても米軍に史実以上の出血を強要し万が一の講和の機運も生まれたかもしれないと考えます。

 もちろん歴史にIFは禁物でなるようにしかならなかったと思いますが、このように考える戦史研究家は少なくありません。今回紹介する珊瑚海海戦も第二段階作戦に戦線を拡大する一環として行われたものです。日本海軍の重要拠点、トラック諸島を守るにはニューブリテンラバウル占領が必要。そしてラバウルを守るためにはソロモン諸島ガダルカナル島ニューギニアポートモレスビー占領が必要だと戦線はどんどん拡大していきます、もちろんガダルカナル島占領は、そこを基地にして二式大艇の哨戒圏内で米豪連絡線を遮断するという戦略的意味もありました。

 ただ占領しても維持できるかどうかは別問題で、オーストラリア本土とニューカレドニアから莫大な補給が期待できる米軍と違い、トラック諸島にしてもラバウルにしても補給の通過点に過ぎない日本軍の不利は戦う前から明らかでした。

 ともかく、珊瑚海海戦はニューギニア島南東の重要拠点ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)の一環として珊瑚海(オーストラリア、ニューギニアニューカレドニアソロモン諸島に囲まれた海)の制海権を握る目的で行われます。日本海軍はこの海域に第4艦隊(井上成美中将)を投入しました。

 第4艦隊の陣容は次の通り
◇第4艦隊(司令長官 井上成美中将)

(機動部隊)
◆第5航空戦隊  正規空母「瑞鶴」「翔鶴」
◆第5戦隊     重巡那智」「羽黒」
◆第7駆逐隊   駆逐艦「曙」「潮」
◆第27駆逐隊  駆逐艦有明」「夕暮」「白露」「時雨」

(MO攻略部隊)
◆第6戦隊   重巡「古鷹」「加古」「青葉」「衣笠」
◆MO部隊直轄 軽空母「祥鳳」、駆逐艦「漣」
◆第18戦隊  軽巡「天龍」「龍田」
◆第6水雷戦隊 軽巡「夕張」、駆逐艦「追風」「朝風」「睦月」「弥生」「望月」

(ツラギ攻略部隊)
◆第19戦隊  敷設艦沖島
◆第23駆逐隊 駆逐艦「菊月」「夕月」

(ただし輸送船、補助艦艇は略)


 一方米海軍はF・J・フレッチャー少将の第17任務部隊を派遣します。正規空母「ヨークタウン」「レキシントン」ほか重巡7、軽巡2、駆逐艦13と日本海軍とほぼ互角でした。このほかニューギニアソロモン諸島の米陸軍航空隊の支援を得られる分若干米側が有利とも言えます。

 素人考えでも分かる通り、ポートモレスビーソロモン諸島のツラギを同時に攻略するという戦域も広大、作戦目的も複数で複雑という日本軍の悪癖が出た作戦だったと思います。作戦は単純明快で兵士の末端まで作戦目的を共有し一丸となって戦うのが理想だと言われます。ミッドウェー、レイテ沖と繰り返される失敗の前触れとも言える戦いでした。

 1942年4月30日ラバウルを出港したツラギ攻略部隊は5月3日予定通りツラギを占領、水上機基地を設けます。ところが早くも4日には米空母艦載機の空襲を受け菊月撃沈、沖島、夕月が損傷しました。5月1日トラック環礁を出港したMO機動部隊は、報告を受けツラギ近海を索敵しますが米機動部隊を捕捉できませんでした。そのころポートモレスビー攻略部隊は軽空母祥鳳に守られて南下中、敵飛行艇接触を受けます。

 日米機動部隊は、互いに索敵機を発進させ敵機動部隊の位置を探りました。発見したのはほぼ同時だったと思います。まず5月7日早朝、孤立していた軽空母祥鳳が米艦載機の攻撃で撃沈されました。翌8日翔鶴索敵機が敵空母2隻を発見、直ちに攻撃隊を発進させます。米空母レキシントンは魚雷2、爆弾5発の直撃を受け撃沈。ヨークタウンも大きな損傷を受けました。一方、我が駆動部隊も翔鶴が米艦載機の攻撃で爆弾3発直撃を受け飛行甲板損傷、着艦不能になります。瑞鶴もたび重なる空戦で航空機と優秀な搭乗員を多数失い五航戦(第五航空戦隊)は次のミッドウェー海戦に参加できなくなりました。

 珊瑚海海戦は、日米痛み分けに終わります。両軍ともにベテラン搭乗員と航空機を多数失います。日本海軍は、今回の戦いで米空母ヨークタウンが損傷したのでしばらく戦闘に参加できないと判断しました。ところが米海軍はヨークタウンをハワイに廻航し急ピッチで修理します。ミッドウェー海戦には、この居るはずのないヨークタウンが加わっていました。まだ完全に修理できたわけではなく応急処置での参加でしたが、これが勝敗を大きく左右する事になるのです。