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日本の戦争Ⅵ  インド洋作戦1942年4月

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 日本は対米戦を覚悟した時、まず真珠湾を攻撃して米太平洋艦隊を叩きシンガポールを攻略してイギリス極東軍と極東艦隊を叩き南方攻略の邪魔をさせないように排除し、その上でフィリピン、蘭印、ビルマなど南方資源地帯を占領して不敗の態勢を築くという所謂第一段階作戦を策定しました。
 
 それがビルマを除きほとんどの作戦目標を達成し、次に南方の占領地の防備を強化し米豪の連絡線を遮断しハワイ占領でアメリカとの講和を考える第二段階作戦に移行します。米太平洋艦隊は真珠湾の損害をまだ回復していませんでしたが、イギリスは最重要植民地インドを守る英印軍と東洋艦隊が健在でした。正規空母インドミタブル、フォーミタブル、軽空母ハーミズ、戦艦ウォースパイト、レゾリューション、ラミリーズ、ロイヤルソべリン、リベンジ、重巡2隻、軽巡4隻、駆逐艦14隻などかなりの脅威でした。

 英東洋艦隊は、セイロン島のコロンボモルジブ諸島の最南端にあるアッズ環礁を根拠地としていました。英海軍は、本土のスカパフローに代表されるようにこのような陸地から離れた孤島や環礁に海軍基地を設けるのを好みました。確かに防衛上は有利でしたが海上封鎖されると手も足も出なくなるという欠点がありました。にもかかわらずこのような場所を好んで海軍根拠地にしたのは絶対に海上封鎖されないと自国の海軍力に自信があったのでしょう。日本は、最後まで英海軍の秘密根拠地アッズ環礁の存在を気付かなかったそうです。

 第二段階作戦の目標の一つには当然インド攻略も含まれていました。あくまでも理想的に展開しての話ですが、ビルマ攻略もインド遠征(最低限でも東部の国境地帯占領)も現在戦争中の蒋介石重慶政権を脱落させるために必要だったのです。

 日本海軍は、コロンボに停泊する英東洋艦隊撃滅を目的としたインド洋作戦を発動しました。主力は真珠湾を攻撃した南雲中将の第一航空艦隊(ただし加賀はジャワ空襲時に損傷、佐世保で修理するため脱落)。これにマレー作戦から解放された南遣艦隊の金剛型高速戦艦4隻(金剛、榛名、比叡、霧島)が加わるという帝国海軍始まって以来の大機動部隊でした。軍事や戦史に疎い人は高速戦艦とは何ぞや?と思われるでしょうから簡単に説明するともとは巡洋戦艦と言って主砲は戦艦並みなものの装甲が薄く、その分高速だという艦種です。ところが第1次大戦の戦訓から装甲の薄さが致命的になり改装である程度装甲を強化したものを日本では高速戦艦と呼びました。ですから旧式ではあるのですが、速度が30ノットと機動部隊に随伴できたため重宝され第2次世界大戦では最も活躍した艦種です。アメリカもアイオワ級高速戦艦と呼び33ノット出せるのですが、こちらは近代砲戦を想定し設計段階から装甲も強化してあるので同じ高速戦艦といっても分けて考える必要があります。

 日本海軍(南雲艦隊)の陣容は、正規空母×5、軽空母×1、高速戦艦×4、重巡×7、軽巡×3、駆逐艦×18という堂々たるものでした。アメリカから英東洋艦隊に1942年4月1日前後日本軍機動部隊がセイロン島攻撃をするらしいという報告が入ります。東洋艦隊司令長官ソマービル中将は指揮下の艦隊主力をコロンボからアッズ環礁に移して日本海軍機動部隊を待ち構えました。

 ところが瑞鶴、翔鶴の合流が遅れたためコロンボ空襲が4月5日にずれ込み、ソマービル中将は「誤報だったかもしれない」と4日一部の艦艇をコロンボに戻します。翌朝、日本海軍機動部隊はコロンボを空襲し飛行機、艦艇、基地施設に大打撃を与えました。この時英重巡2隻を撃沈したそうですが、九九艦爆の爆弾命中率88%という驚異的な数字を叩き出します。いかに当時の日本軍パイロットの技量が優れていたか分かりますね。翌日にはセイロン島東岸トリンコマリ軍港にいた軽空母ハーミズを撃沈、それ以外にもベンガル湾方面に進出し合わせて軽空母×1、重巡×2、駆逐艦×1、その他船舶×48撃沈、航空機120機撃破という大きな戦果をあげました。

 ところがアッズ環礁に逃れていた英東洋艦隊主力を取り逃がしたまま引き揚げるという痛恨のミスを犯します。おそらくこの時の機動部隊の戦力なら英東洋艦隊は撃滅できていたはずで、それが成功すればセイロン島を完全に占領でき、インド洋の制海権を握ってインドへの進出も容易に可能、もしインドを手に入れられれば戦争で勝ったかもしれないと思うと悔やんでも悔やみきれません。イギリスは脱落せざるを得ないし、そうなるとアメリカの大義名分も無くなるからです。

 歴史にたらればは禁物ですが、日本海軍がアッズ環礁の存在を把握していたらと思うと愚痴を言いたくもなります。有名なスカパフロー軍港を考えると英海軍の特性にも気付きそうなものですからね。日本は情報に対する認識が低かったから負けたと言われますが、今もそれが続いているようで日本人特有の欠陥なのかもしれません。それを考えると日露戦争の時の日本人は別民族のようでもあり、不思議でならないんです。戦国時代の日本人も情報を重要視してましたから、単に平和ボケの産物なら良いのですが…。皆さんはどう思われますか?