ドイツが戦争遂行するために重要な物の一つとして中立国スウェーデンの鉄鉱石がありました。夏の間はバルト海を通じて交易できましたが、冬季は凍結により利用できず隣国ノルウェーのナルヴィク港まで一旦鉄鉱石を送りそこから積み出してドイツ本国に持ってきていました。当然、イギリスはこれを妨害するでしょう。豊富な鉄鉱石を常時手に入れられないという危険性はドイツの戦争遂行上問題でした。
同時に、対イギリスの通商破壊戦からもフィヨルドの続くノルウェーの海岸線は魅力があります。デンマークはノルウェーへの通り道であるとともに、ここを抑えないとドイツの内海とも言うべきバルト海に強力なイギリス海軍が入ってくるので重要でした。デンマーク、ノルウェー侵攻作戦は海軍の発案であり、強力な提唱者でもあったのです。
1940年4月2日、ヴェーゼル演習作戦は発動します。同じころイギリスもドイツを戦略的に追い詰めるためノルウェー進出作戦(一応ノルウェーは連合国)を計画中で、間一髪ドイツが先んじることができました。デンマークに対するヴェーゼル南作戦は簡単でした。デンマーク自体小国でろくな軍隊を持っておらずドイツ軍は空挺部隊で要地を占領し、首都コペンハーゲンにも機雷敷設艦で直接1000名の歩兵を上陸させます。デンマーク政府は降伏し戦闘開始からわずか6時間で終了します。
問題はノルウェーに対するヴェーゼル北作戦でした。海を渡って陸軍部隊を送らなければいけない事。強力なイギリス海軍の妨害は必至であること。作戦の成否は時間との勝負です。イギリス軍が本格的に介入する前に占領しないと補給線を断たれ失敗します。
陸軍は、ノルウェーを攻略するためファルケンホルスト大将の第21軍団(5個歩兵師団、1個山岳師団)を編成します。作戦の提唱者である海軍は全力を上げてこれをバックアップしました。巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ、重巡洋艦アドミラル・ヒッパー、ブリュッヒャー、ポケット戦艦リュッツォウはじめ軽巡×4隻、駆逐艦×14隻など多くの主力艦が参加します。空軍も戦闘機100機、爆撃機330機、輸送機500機を投入しました。
イギリスは、スカパフローを基地とする本国艦隊から戦艦ウォースパイト、巡洋戦艦レナウン、空母フューリアスを含む艦隊が出動しナルヴィク沖に集結します。まともにぶつかっては勝てない事から、ドイツ海軍は巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウを囮に使いました。まんまと騙されたイギリス艦隊はこれを追撃しグナイゼナウに損傷を与えます。ところがその隙にドイツ軍の上陸部隊はナルヴィク上陸に成功、占領しました。
4月13日、イギリス海軍は戦艦3隻、巡洋戦艦2隻、空母1隻を含む大艦隊をナルヴィク近海に出動させドイツ海軍を駆逐します。ナルヴィク上陸のドイツ軍部隊は一時孤立しました。イギリス陸軍も劣勢のノルウェー軍を助けるため上陸、各地でドイツ軍部隊と戦います。ドイツ軍はノルウェー南部から主力部隊を上陸させ首都オスロを制圧、北上し順次沿岸の上陸部隊と合流、数で連合軍を圧倒しました。海上では優勢なイギリスでしたが、地上戦で劣勢になったため上陸部隊を引き揚げさせます。ドイツ軍は占領したデンマークやノルウェー南部に空軍部隊を進出させたため勝負ありました。
ノルウェー侵攻開始が4月9日、完全占領が6月10日、その間ドイツ海軍は少なくない損害を受けます。しかし、最終的にノルウェーはドイツ軍の手に落ちファルケンホルストの第21軍団が1940年末に第21軍に再編成され敗戦まで保持し続けました。以後この地域は主戦場になる事はありませんでしたが、海軍と空軍はノルウェーを出撃拠点としてバトルオブブリテン、大西洋の通商破壊戦を遂行しました。
後顧の憂いをなくしたドイツ軍は、いよいよその矛先をフランスへ向けます。次回はフランス侵攻作戦を描きましょう。