序章で政治面からドイツの動きを見てきましたが、軍事面ではどうだったでしょうか?海軍・空軍・陸軍それぞれを見てみましょう。
まず、海軍は第1次大戦敗戦で巨大なドイツ大海艦隊を解体させられ旧式の装甲艦6隻、巡洋艦6隻、駆逐艦12隻、魚雷艇12隻に保有を制限されます。1935年再軍備宣言で本格的海軍の建設を目指しますが、イギリスの圧力で1935年英独海軍協定を結ばされ英海軍の35%の艦艇しか保有を許されませんでした。1938年、この状況に我慢できない海軍はZ計画という大艦隊整備計画を打ち出します。H級戦艦6隻、O級巡洋戦艦3隻、航空母艦2隻をはじめとする大規模な整備計画で完成すれば列強に伍する海軍が誕生するはずでした。
しかし艦船建造には時間がかかるもので、第2次世界大戦勃発のためにZ計画は夢想に終わります。ドイツ海軍も現状はしっかり認識しており、主力艦の劣勢をUボート(潜水艦)の大量建造で補うという方針を打ち出します。これを推進したのは潜水艦隊司令長官のカール・デーニッツ大佐でした。デーニッツは潜水艦隊が大規模になるにつれ昇進し最終的には元帥になります。ドイツ海軍は、ビスマルク、テルピッツ、シャルンホルスト、グナイゼナウなどの戦艦が有名ですが、海軍の主力はUボートで実際に通商破壊作戦でイギリスを追い詰めました。
次に空軍を見てみましょう。ナチス政権は整備に時間のかかる海軍を冷遇し急速に戦力拡大できる空軍に力を入れます。空軍大臣には第1次大戦のエースの一人でナチス党の大幹部だったヘルマン・ゲーリングが就任、最初は旧式のハインケルHe51戦闘機が中心でしたが、1935年には待望の新鋭戦闘機メッサーシュミットMe109(日本ではBf109だが欧米資料ではMe109の表記が多いのでこれに従った)が登場、生産性にも優れたMe109は最終的に3万機以上も生産され文字通りドイツ空軍の主力となります。その他ハインケルHe111爆撃機、電撃戦の主役ユンカースJu87スツーカ急降下爆撃機などが続々登場しました。
陸軍は敗戦の結果兵力10万に制限されていまいたが、保有を禁じられていた戦車を農業用トラクターの名目で開発し、秘密協定を結んだソ連で戦車の訓練をしていました。再軍備宣言以後は堂々と戦車を保有できる事になり、着々と戦力を増強させます。なかでもハインツ・グデーリアンは戦車を中心とした機甲部隊を集中運用し、砲兵の代わりに空軍の急降下爆撃機を利用して機動力で敵の指揮中枢と命令系統を破壊する電撃戦理論を提唱します。
戦車の集中運用は、イギリスのフラー大佐、フランスのエスティエンヌ大将、ソ連のトハチェフスキー元帥、日本では酒井鎬次中将などが早くから唱えていましたが、各国の軍隊には守旧派が多く、政府も莫大な予算を食う事から難色を示したため実現しませんでした。ドイツの場合は敗戦で国防軍が一度解体したことやヒトラーが電撃戦理論に共鳴し強力に推し進めたことで世界で初めて機甲部隊を主力とする電撃戦ドクトリンが完成します。
といっても第2次世界大戦勃発時、ドイツ装甲師団の主力はⅠ号戦車、Ⅱ号戦車などの軽戦車で、Ⅲ号やⅣ号などの中戦車はようやく増産が始まったばかりでした。最初ドイツ軍はこのような状況で戦争を始めたのです。
1939年9月1日、ドイツ軍のポーランド侵攻で第2次世界大戦が始まるわけですが、ヒトラーはポーランドを攻めるにあたって外交的布石を着々と打っていました。開戦直前の8月23日独ソ不可侵条約締結。ドイツとソ連はこの時すでにポーランド占領後の分割を取り決めていました。
ドイツ軍は、北部西部南部の三つの国境からポーランドに雪崩れ込みます。秘密協定によりソ連もポーランドに襲いかかりました。泣きっ面に蜂のポーランドは、旧式の軍隊しか持たなかったため各地で敗退、ドイツ軍にとっては電撃戦の予行演習になりました。開戦から1カ月ちょっと過ぎた10月6日には首都ワルシャワ陥落、ドイツ軍とソ連軍はポーランド全域を占領します。ところがポーランド政府は屈服せずルーマニア、ハンガリーを経由してイギリスに亡命政府を作りました。少なくないポーランド軍兵士も脱出し自由ポーランド軍として連合軍に加わり抵抗を続けます。さらに国内でもレジスタンスが発生しドイツ占領政策を脅かすのです。
不屈のポーランド人の抵抗は、ソ連のスターリンにも脅威に映りカチンの森虐殺事件という悲劇を招きました。英仏は、ポーランドとの間に相互援助条約を結んでいたものの直接軍隊を送る事はしませんでした。ドイツ軍の侵入に宣戦布告したのみ。英仏にとっては所詮他人事にすぎなかったのでしょう。しかし彼らの態度は後に大きなしっぺ返しを受ける事になります。