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標高の高いところにも弥生時代の人は住んでいたんですね。

【愛媛】西日本で最も標高の高い弥生遺跡 土器片を発見


 地図で見たんですが、愛媛県久万高原町って土佐街道沿いの山間部なんですね。標高1100m、ちょっと想像できません。もともと初期の稲作は田植えの段階では水田、収穫時には水を抜かなければならない事から山間部や丘陵地の斜面に棚田を作って重力を利用し水をコントロールしたものでした。ですから棚田は日本の原風景なのです。

 低湿地は水はけが難しい事から初期には水田耕作に利用されていませんでした。ですからある程度山の斜面を利用した棚田が存在するのは当然とはいえ、標高1100mの場所で水田耕作できたんでしょうか?私は全く農業の素人ですから分かりませんが、気圧も標高で変わってくるでしょ?地表面で1013hpa(ヘクトパスカル)だと1000mの標高では898hpaになるそうなんですよ。稲作の限界標高が1000mだと言われますが、これは現在の技術での話で当時はどうだったんでしょうか?

 もしかしたらこの遺跡に住んでいた人は、稲作には従事しておらず古代の伊予と土佐を結ぶ交易路に関係する仕事をしていたんでしょうかね?米などの食料は交易で得ていたのかもしれません。となると弥生時代から交易が行われていた事になりますが、縄文時代にも黒曜石の広範囲にわたる交易ルートがあったそうですから古代人は思ったより先進的だったのかもしれませんね。

 それともう一つ思い出すのは、古代の交易路は山の尾根を通っていたそうですから四国山上文明説も連想されます。これはアカデミックな歴史では黙殺されているので真相は分かりませんが…。四国は剣山のソロモン王の秘宝伝説もあってロマンがあるところですね。幼いころ家族旅行した時は、道後温泉とか栗林公園とか金刀比羅山とか比較的平地よりだったんで、四国の内陸部にも行ってみたいです。