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水際撃退か内陸持久か? ロンメルの場合

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 エルヴィン・ヨハンネス・オイゲン・ロンメル元帥(1891年~1944年)といえば、戦史に疎い人でも名前くらいは知っているドイツの名将です。もっともすべてにおいてスーパーマンだったかというとそうでもなく、戦術眼はずば抜けていても兵站に関する知識が欠けていたとも言われています。

 有名なエピソードですが、北アフリカ戦線でドイツアフリカ軍団(DAK)を指揮していたロンメルはドイツ本国に「あと装甲師団が2個あればイギリス中東軍をスエズ運河まで追い落せる」と要求しました。これに対しドイツ参謀本部は「2個装甲師団分の物資と食料をどうやって補給するつもりだ?」と返信します。ロンメルは「私の知った事ではない。それはそちらの問題だ」と冷たく答えたそうです。

 ただしこれはロンメルの敵であったアメリカ軍人の話なので全面的に信用はできないのですが、たしかに当時のドイツの国力では2個装甲師団(第15装甲師団、第21装甲師団)1個軽装甲師団(第90軽装甲師団)の兵站を維持するのが精一杯でさらに2個装甲師団を追加すれば補給の面から破綻するのは明らかでした。これまで勝ってきた理由の一つは、近代の軍隊は兵站能力を前提に作戦を立てるのでその限界を超えるロンメルの機動戦術にイギリス中東軍が対応できなかった事です。

 当時の北アフリカ戦線の海上兵站はイタリアから出港する輸送船で賄っていたのですが、途中のマルタ島にはイギリス軍の要塞がありさらに英地中海艦隊の跳梁跋扈もあり乏しい輸送力も途絶えがちだった史実は忘れてはなりません。さらにそれを護衛するはずのイタリア海軍が英艦隊を恐れて逃げ回っていた事も致命的でした。


 前置きが長くなったのですが、本記事の主題は北アフリカではありません。ロンメルが最後に指揮した西部戦線B軍集団司令官時の話です。B軍集団は連合軍のフランス上陸に備えブルターニュ半島からオランダまでを担当していました。

 来るべき日に備え担当地域の防備状況を視察していたロンメルは、連合軍を防ぐには水際撃退しかないと結論します。古来敵上陸戦に対しての戦術は水際撃退か内陸持久しかないのですが一長一短あって専門家の間でも議論になっていました。

 日本においても2つの作戦方針の間でかなり揺れ動いたのですが、サイパンまでの上陸戦で水際撃退がことごとく失敗した事から敵の上陸時にはほとんど反撃せず内陸深く誘致して出血を強いるという内陸持久方針が優勢になります。実際、ぺリリュー島、硫黄島、沖縄と内陸持久の方が米軍に大きな損害を与えたのは事実です。

 当時のドイツ軍も、連合軍の上陸を一旦許し後方に集結させた機甲部隊でこれを叩くという方針に固まりつつありました。ロンメルはこの大方針に真っ向から反対します。莫大な物量を誇る連合軍の上陸を許したらどう足掻いても勝ち目はないというのが彼の主張でした。北アフリカ戦線で連合軍の圧倒的航空優勢を経験したロンメルは機甲部隊の集中運用による機動防御は机上の空論で、おそらく前線に到達する前に航空攻撃でほとんど戦闘能力を失うであろうと予言します。機甲部隊はむしろ最前線に配置し上陸作戦時最も脆弱な敵が橋頭堡を築く前に叩くべきだというのがロンメルの主張でした。

 ロンメルは、B軍集団の上級組織西方総軍司令部のルントシュテット元帥やドイツ参謀本部、さらにはヒトラー総統とも激しくやり合います。しかし機動防御方針に凝り固まったヒトラー参謀本部の考えを変えさせることはできませんでした。さらには参謀本部の一参謀から「あなたは北アフリカ戦線では機甲部隊の機動によって勝ってきたではないか?今回に限って装甲部隊最大の強みである機動力を封じるような部隊配置は納得できない」とさえ言われる始末でした。

 ロンメルの考えは、

①機甲部隊の内陸配置は、前線到達前に敵の航空攻撃によってかなりの戦力を消耗する
②水際撃退は、敵の艦砲射撃と上陸支援航空攻撃にさらされる危険はあるが即応性で内陸持久に勝る
③水際撃退は、上陸部隊が最も脆弱である橋頭堡を築く前に叩ける
④一旦、敵が橋頭保を築いたら陸上輸送より海上輸送の方が物資補給効率が段違いなので圧倒的に不利
⑤その意味では予備部隊も前線近くに置くべきで、機甲部隊の50km後方配置は間に合わない可能性が高い

というものでした。


 いかかですが?ノルマンディー上陸作戦の推移をみればロンメルの指摘通りになっている事がお分かりになると思います。ロンメルは、ノルマンディー上陸作戦時も部隊配置を巡ってドイツ本国で参謀本部ヒトラーとやり合っている最中でした。そのため満足に指揮する事も出来ず一部の部隊の善戦はありましたが、結局連合軍の上陸を許しドイツは敗北への道をまっしぐらに突き進むことになります。

 当時、アメリカ軍の物量と圧倒的航空優勢を経験していたのはロンメル一人。ロシア戦線では、制空権はめまぐるしく入れ替わり機動防御もしばしば成功していたため(例 ハリコフ機甲戦。マンシュタイン会心の作戦指導と評される)ヒトラー参謀本部ロンメルの主張が理解できなかったのでしょう。


 敵上陸作戦時に防御側が採る戦術、水際撃退と内陸持久のどちらが優れているか?結論としてはケースバイケースですが、水際撃退できれば一番の理想。内陸持久は兵力の劣る防御側の次善の策という事で間違いなさそうです。