この画像は例によって某海外軍事サイトから拝借したものですが、一般に言われる装甲教導師団の戦力よりも若干多いですね。
日本で出回っている資料ではⅤ号戦車パンターは79両のはずですが、この図では89両(戦車大隊に86両、本部小隊が3両)です。
Ⅳ号戦車は通説99両に対し96両。それ以外はほぼ通説と変わりません。
纏めると、
Ⅴ号戦車パンター×89両
Ⅳ号戦車×96両
Ⅲ号突撃砲×9両
Ⅵ号戦車ティーガー(おそらくⅠ型)×6両
Ⅳ号駆逐戦車×31両
装甲兵力は合計で231両。これは当時のドイツ装甲師団の充足率を考えると突出しており(他は定数180両前後を切る装甲師団がほとんどだった)米英機甲師団の戦車保有定数に匹敵します。質は当然こちらが勝っているので連合軍にとっては脅威でした。88㎜高射砲も18門保有しています。
ただ問題がないわけでもなく、装甲砲兵連隊の保有火砲のうちソ連製の152㎜榴弾砲12門が含まれます。他は105㎜榴弾砲leFH18×12門、105㎜自走榴弾砲ヴェスぺ×12門、150㎜自走榴弾砲フンメル×6門。理想的にはヴェスぺ×24門、フンメル12門と完全自走化しなければいけないのに東部戦線の鹵獲火砲で数合わせしなければならなかったあたり当時のドイツ陸軍の台所事情の厳しさを感じますね。
この兵力はおそらくノルマンディ上陸作戦直前のもので、その後は連合軍の空爆と地上戦で受けた損害を回復できぬままアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)に突入します。
私は第1SS装甲師団が当時一番の戦力を持っていたと考えていたのですが同資料によると1944年6月当時同師団はⅤ号戦車パンター×38両(定数79両)、Ⅳ号戦車×42両(定数101両)と、大きく戦力を消耗させていました。ただⅢ号突撃砲だけは充実しており44両もありましたが。
バルバロッサ、ハリコフ、クルスクと東部戦線の激戦をくぐり抜けてきた上にイタリア戦線にも一時投入されたのですからこれは仕方なかったのかもしれません。装甲教導師団は1944年に編成されたばかりですからね。
以上、完全趣味の記事でした(笑)。
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