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ドイツの戦争11  ノルマンディー上陸作戦

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 クルスクの戦いで一息ついたとはいえ1941年以来ドイツの矛先がずっとソ連に向いておりその損害は甚大でした。ドイツ軍とソ連軍のキルレシオは一説では10対1(ドイツ軍が1損害を出す間にソ連軍は10の損害を受ける)だったとも言われます。第2次大戦のソ連の犠牲者が民間人も含め2000万近かった理由でした。

 スターリンは、米英に西部戦線で大攻勢を行いソ連へのドイツの鋭鋒を和らげるよう要求します。ルーズベルトにしてもチャーチルにしても戦後を見据えソ連の勢力拡大を抑える意味でも大西洋で大規模な上陸作戦を考えていました。その場所はイギリス本土に近いノルマンディー海岸に決まります。

 『オーバーロード作戦』と命名され、まず4000隻の船舶で米英16万の兵力を上陸させ2か月以内に200万の兵力、5万両の装甲車両を揚陸する計画でした。そのために支援兵力として戦闘艦艇600隻、戦闘機5000機、爆撃機3500機が準備されます。これだけの大規模な上陸作戦は例が無く、準備にも困難が伴いました。まず200万という膨大な戦力の補給線を維持することが難関です。ノルマンディー海岸には大規模な揚陸能力を持った港湾がほとんどなかったため、上陸部隊はまずこれら港湾都市の攻略を最優先とされました。

 一方、ドイツ側の準備はどうだったでしょうか?ドイツ軍も西部戦線における連合軍の大規模上陸は想定しており大西洋に面する海岸線にそって砲台やトーチカを建造し「大西洋の壁」と命名します。総延長2685kmにも及ぶ大規模なものでしたが、それを防衛する肝心な兵力が不足していました。西部戦線を統括する西方総監にはルントシュテット元帥が就任し、現地で実際に防衛の指揮を執るB軍集団司令官にはロンメル元帥が任命されます。

 ロンメルの元には、東部戦線から引き抜かれた6個装甲師団がありましたがその運用を巡ってヒトラー参謀本部と対立します。北アフリカ戦線で連合軍の航空優勢を痛いほど実感していたロンメルは、水際撃退しかないと考えていました。そのためには虎の子の装甲師団も海岸近くに配置し敵が上陸したらすぐさま投入しようとします。

 ところが、東部戦線などで機動防御作戦の成功例に酔うヒトラー参謀本部装甲師団を後方に配置し、敵の動向に合わせて向かわせるようロンメルに命じます。ロンメルは、敵の圧倒的航空優勢下では装甲師団が戦場に到達するまでに消耗しほとんど役に立たなくなると強硬に主張しますが、実感のない参謀本部は容認しませんでした。東部戦線は広大すぎて制空権も目まぐるしく変わっていたからです。

 結局、ヒトラーの提案で3個師団をロンメルの希望通り沿岸部に配置し、残りの3個師団は機動予備として後方に置くという中途半端な結論になりました。もちろんロンメルの主張が全面的に認められても連合軍の上陸を撃退できたかというと疑問符が付きますが、史実ではほとんど活躍しなかった後方の3個装甲師団がすでに戦場にいればもっと大きな損害を連合軍に与えていた事は間違いありません。敵の艦砲射撃や空爆に備えて耐爆壕を準備する事もできたでしょうから、8割くらいの戦力は保持できたと思います。

 実は、連合軍の上陸作戦の時期についてもドイツの情報機関は掴んでいたとされます。その情報は6月2日西方総監部までは届いたいたそうですが、B軍集団との連絡の不手際でロンメルの司令部には知らされていませんでした。もしかしたら作戦を巡っての確執でロンメル参謀本部の嫌がらせを受けたのかもしれません。

 1944年6月6日、オーバーロード作戦が発令されました。その時ロンメルは現地に居ません。実は6月4日ベルリンに向かったのです。妻の誕生日を祝うのと、あと5個師団の指揮権委譲をヒトラーに訴えるためでした。肝心の時に最高司令官がいないという不幸は救いようがありません。

 連合軍は上陸に先立って大規模な空爆を敢行しました。数日前から上陸地点秘匿のため陽動で別の場所を空爆していたのですが、今回はノルマンディーのドイツ軍陣地を狙って徹底的に叩きます。まずドイツ軍の後方撹乱すべく米軍の第82、第101空挺師団がノルマンディー一帯に降下しました。カーン方面には英軍の第6空挺師団、第3空挺旅団、第5空挺旅団が続きます。

 続いてノルマンディー沖合の連合軍艦艇が一斉に砲門を開き艦砲射撃を加えました。上陸部隊は空爆と艦砲射撃に守られて上陸を開始します。上陸の担当区域は西部が米第1軍でオマー・ブラッドレー中将が指揮しました。東部の英第2軍はデンプシー中将が率います。

 上陸地点にもっとも近かったドイツ軍の装甲師団は第21装甲師団でした。ところが命令を下せるヒトラーは就寝中、軍集団司令官のロンメルも不在だったため独断でカーンへ向かいます。カーン後方にはSS第12装甲師団などがいましたが、戦場に向かう前にロンメルの危惧通り連合軍の猛爆撃を受け大きな損害を出しました。結局頼みの装甲兵力は逐次投入となり力を発揮できませんでした。

 連合軍はその日のうちにノルマンディー海岸に橋頭保を築き勝負ありました。水際撃退作戦は破綻したのです。それでも劣勢のドイツ軍は奮戦します。ヴィレル・ボガ―ジュの戦いで戦車戦エース、ミハイル・ビットマンの活躍は有名です。

 戦力の逐次投入という最もまずい戦いを強いられたドイツ装甲師団の損害は甚大でした。連合軍は日に日に増強され膨大な物量によってドイツ軍は押されます。8月25日にはついにフランスの首都パリが陥落しました。ドイツはこのままずるずると押され続けて敗北するのでしょうか?

 ヒトラーは夢よもう一度とばかり、起死回生の反撃作戦を考えます。連合軍の上陸から半年、ドイツ国境に迫った敵に痛撃を与える作戦でした。次回、バルジの戦いを描きます。