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ドイツの戦争Ⅶ  タイフーン作戦

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 ソ連/ロシアは地政学的に縦深が深い国だと言われます。どういう事かというと、首都が国境から遠く後背地も広大であるため敵は侵攻すればするほど補給に苦しみ、こちらは敵軍を自領深く誘いこんで補給路を断ち相手の補給線が延び切ったところで反撃すれば勝てるというものです。ロシア人は伝統的にこの戦術を熟知しナポレオンのロシア遠征も撃退しました。

 逆に、日本のように首都が沿岸部にあり国土も狭い国は縦深が無い国だと言われます。こちらは本土決戦が即凄惨な殺し合いになり国民の犠牲も甚大になるので、できるだけ自領の外で戦わなければなりません。戦争が長引くのも致命傷だから速戦即決。明治以来日本は地政学的宿命を悟り半島や大陸に進出しました。海軍を強化し、なるだけ領海の外で艦隊決戦を行い勝ちを得ようとします。ですから戦後日本の専守防衛は、軍事的にも地政学的にもあり得ない愚策中の愚策。多大な国民の犠牲を前提とした間違った方策だと思います。

 第2次世界大戦のソ連も同様でした。緒戦こそドイツ軍の奇襲にやられましたがすでに戦車工場などの重要軍事工場の大半はウラル山脈近郊に移しておりバクーの石油もカスピ海を通ってウラル方面への輸送路が確保してありました。ドイツ軍は、深く攻め込めば攻め込むほど補給路が延び切り、そこをパルチザンにやられます。ドイツ軍がモスクワ前面に達した時には、ソ連軍は万全の態勢で待ち構えていたのです。

 兵器の面でも、ドイツ空軍のメッサーシュミットMe109F戦闘機はソ連空軍のラボーチキンLaG‐3やポリカルポフI-16、ミコヤングレヴィッチMiG-3などを圧倒しますが、ソ連空軍は数で対抗します。陸軍に至っては76.2㎜砲を搭載し前面装甲100㎜以上を誇るKV-1重戦車、同じく76.2㎜砲搭載で傾斜装甲と曲線を多用した防楯など理想的避弾経始を持つT-34中戦車が登場します。T-34は、幅広の履帯で接地圧が低く泥濘の中でも自由に動き回れる傑作戦車でした。

 一方それまで主力だったドイツⅢ号戦車の主砲50㎜60口径砲では、これらソ連新鋭戦車の装甲を撃ち抜く事ができません。Ⅳ号戦車も75㎜砲搭載ながら短砲身(24口径)で対抗できませんでした。ドイツ軍はT-34ショックを受けⅣ号戦車の長砲身化を進めますが75㎜43口径砲搭載のF2型はモスクワ戦の段階では前線に届いていませんでした。T-34を容易に撃破できる75㎜70口径砲搭載のⅤ号戦車パンター、88㎜56口径砲搭載の重戦車Ⅵ号戦車ティーガーⅠも開発中で戦場に登場するのは1942年の中盤以降。

 冬将軍の前触れの泥濘、延び切った補給線、待ち構えるソ連軍の重厚な防御陣地、モスクワ攻略を目指すドイツ軍に立ちふさがった状況は厳しいものでした。1941年10月2日、ついにモスクワ攻略を目指す「タイフーン作戦」が発動します。主攻は中央軍集団ですが、広大な戦域のため北方軍集団南方軍集団が両翼からこれを助けました。中央軍集団の先鋒はグデーリアン上級大将率いる第2装甲集団

 待ち構えるソ連軍は北から北西方面軍、カリーニン方面軍、西方正面軍、ブリヤンスク方面軍を並べました。とくにもっとも重要な西方正面軍司令官にはソ連軍のエースとも言うべきゲオルギ―・イワノビッチ・ジュ―コフ大将を配します。

 北方では第3装甲集団、第4装甲集団がヴィアーズマでソ連軍部隊を包囲、南方でも中央軍集団がオリョールを、南方軍集団がブリヤンスクを攻略しモスクワへの包囲の輪を狭めました。やはり個々の兵器の性能では劣勢でも兵士の質と組織戦ではドイツ軍に一日の長があります。モスクワ陥落は時間の問題かとも思われました。

 ところが11月に入って、この地方に例年よりも早い厳しい冬が訪れます。道路は凍結し防寒装備も十分でなかったドイツ軍は凍傷で多くの兵士を失いました。ソ連兵は環境に慣れているので被害はほとんどなく冬将軍は一方的にドイツ側に襲いかかります。延び切った補給線もパルチザンの出没と猛吹雪、凍結した道路に阻まれ深刻な燃料不足に陥りました。

 ここがドイツ軍の攻勢終末点です。12月5日、満を持したジュ―コフは総反撃を命じました。疲れ切ったドイツ軍にこれを支えきれる力は残っていません。中央軍集団の先鋒第2装甲集団はモスクワからわずか50kmの地点まで到達していました。が、ここで力尽き無念の撤退を選択します。全戦線で後退を始めるドイツ軍ですが、さすがに全面崩壊にはならず粛々と下がります。ソ連軍に付け入る隙を与えない見事な撤退戦でした。

 ヒトラーは死守命令を下しますが、現実的には不可能で後退は止まりません。怒り狂ったヒトラーは多くの有能な軍司令官を罷免、自らが陸軍総司令官に就任します。戦車戦術の父といわれるグデーリアンもこの時首になった一人でした。以後、彼は装甲兵総監として後方で装甲車両の生産や戦車兵の育成などを受け持つ役目に復帰しますが、二度と前線に出る事はなかったのです。

 モスクワ攻撃失敗でソ連の早期攻略を断念したドイツ軍。その矛先は南方に向けられます。ヒトラーの目の先には当時世界最大の油田地帯バクーがあるコーカサス地方がありました。そのためには、コーカサスへの入り口で軍需産業と南方ソ連軍の通信指揮中枢が集まる重要都市、独裁者本人の名前を冠したスターリングラードを攻略しなければなりません。

 次回、独ソ戦の転換点となったスターリングラード攻防戦を描きます。