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ブラウ作戦時ドイツ南方軍集団戦闘序列

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 画像が小さいのはご勘弁ください。一枚で収めるには縮小せざるを得ませんでした。

 1941年10月に始まったモスクワ攻略を目指すタイフーン作戦は、ソ連軍の頑強な抵抗と冬将軍の前に膨大な損害を出して敗退しました。ヒトラーは、独ソ戦の長期化をにらみウクライナの穀倉地帯とバクーの油田地帯の奪取を目論みブラウ(青)作戦を発令します。作戦開始時は1942年6月28日。

 南方軍集団はA軍集団とB軍集団の二つに分けられ、A軍集団コーカサス山脈を突破しカスピ海沿岸の一大油田地帯バクーを制圧、B軍集団は友軍のバクー進出を援護しつつボルガ河西岸に到達しスターリングラード占領、その後カスピ海北岸の重要都市アストラハンの確保を目標としました。

 ところがソ連軍は、スターリングラード周辺に膨大な兵力を集結させB軍集団の先鋒第6軍は一時スターリングラードを占領しますが、ソ連の大軍に逆包囲され泥沼の市街戦に突入します。その後の戦局の推移はご存知の通り。結局第6軍は降伏しドイツ軍は戦線を大きく後退させます。ところがマンシュタイン元帥が敵の補給線が伸び切った攻勢終末点を読み切り第3次ハリコフ攻防戦で逆襲。

 しかしクルスクの戦車戦で頓挫、ソ連側のパグラチオン作戦でドイツ軍は攻勢から防御に回り、その後一度も逆転できませんでした。


の時と比べれば、南方軍集団が兵力増強されていることが分かります。特に第6軍は倍以上に強化されています。それだけスターリングラード占領が重要視されていたからでしょう。


 歴史にIFは禁物ですが、もしモスクワ攻略より南方作戦を最優先していたらどうだったか考えることがあります。ソ連のように戦略的縦深が深い国は首都より敵野戦軍撃滅が最優先だったのではないかと思うのです。とすればカスピ海北岸アストラハン占領は重要な意味を持ちます。

 私はバクーを占領できたとしても、ソ連軍は石油施設を破壊するでしょうから使えるようになるには最低でも半年はかかると思います。ただアストラハンは、米英のレンドリース最大のルートにあたり、ペルシャからカスピ海の水運でアストラハンに陸揚げされウラルの工業地帯やモスクワに物資が送られました。ですからカスピ海北岸の占領はこのペルシャルートの遮断を意味し、ソ連の戦争遂行上重大な危機に陥らせることができるのです。

 モスクワはたとえ占領できたとしても、ソ連の抵抗は続きますしナポレオンのロシア遠征時と同様補給に苦しみ撤退に追い込まれると思います。それよりはレンドリースの遮断で戦略的兵糧攻めをしたほうが有効ではないかと考えました。

 まあ、結局あくまでもIFであってこうすれば勝てた風の与太話をするつもりはありません。ブラウ作戦時の戦闘序列を書いている間にいろいろな想像が湧いてきて楽しくなったという話でした(笑)。