鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

#歴史

夏太后ってそんなに権力あったっけ?

【考古学】中国・秦の始皇帝の祖母の墓から新種の類人猿の骨を発見、すでに絶滅 夏太后のペットだった? 支那の歴史に詳しい方なら秦の始皇帝、すなわち統一前は秦王政と呼ばれた男の出生の秘密を知っていると思います。彼の父である公子子楚は後に孝文王とな…

後漢帝国Ⅰ  王莽の簒奪

前漢第12代皇帝成帝(在位BC33年~BC7年)の治世は、武帝以降の混乱した政治を建て直し政治に悪影響を与えていた宦官の勢力を削ぐように努める時代でした。しかし逆にこの頃から外戚の力が強くなり前漢王朝は斜陽の時代に入ります。 成帝の皇后孝元皇后(王…

伊奈忠次と水戸藩

徳川家譜代、伊奈氏と言えばその名前から分かる通り信州伊奈郡の出身です。伊奈熊蔵忠基の時代に三河に流れてきて徳川家(当時は松平家)に仕えたそうです。伊奈氏と聞いて戦国ファンはすぐ伊奈図書(ずしょ)昭綱を連想する事でしょう。 伊奈図書は山城国日…

世界史好きには堪らないニュース♪

【考古学】謎の古代文明の遺跡を中米で複数発見、マヤとは別 ホンジュラスに伝わるスペイン征服時代からの伝説の文明か 一応地図を見たらホンジュラスってぎりぎりマヤ文明圏に入ってますが、今回発見された遺跡ってホンジュラスのどこなんでしょう?記事に…

武を穢す者ども

【長崎】全長263メートル、主砲は長さ20メートル、圧倒的スケールの戦艦「武蔵」の発見「感慨深い」★2 レイテ沖海戦時、ブルネイを出港した第二艦隊(栗田艦隊)はパラワン水道を北上しシブヤン、サンベルナルジの海峡地帯を突破しレイテ湾に向かうべく東に…

鎮台と師団 近代知識人の反軍的体質

俗謡に「またも負けたか八連隊、これじゃ勲章九連隊」というものがあります。これは京都・大阪という当時の都市圏から徴兵された兵士は東北や九州の田舎から徴兵された兵士と違って我慢心もなく一旦不利になったらすぐに逃げ出す弱兵であると馬鹿にしたもの…

バーブルとムガール朝興亡史Ⅴ 北インドの覇者(終章)

1206年、ゴール朝のマムルーク(軍人奴隷)あがりアイバクのデリー征服から始まったデリースルタン朝は、アイバクの奴隷王朝からハルジー朝、トゥグラル朝、サイード朝と続き1520年代には最後の王朝ロディ朝が君臨していました。デリーを都としその版図は北…

バーブルとムガール朝興亡史Ⅳ 新天地

1510年メルブの戦いでシャイバーニー・ハンが戦死しウズベク・ウルスはがたがたになりました。あまりにもシャイバーニー・ハンのカリスマに頼りすぎていたために後継者を巡って一族が争いを始めます。間者の報告を受けたバーブルは千載一遇の好機が巡ってき…

バーブルとムガール朝興亡史Ⅲ サマルカンド攻防戦

バーブルの異母弟ジャハンギール・ミールザーを擁し謀反を起こした臣下スルタン・ムハンマド・タンバルは軍を率いてフェルガナの首都アンディジャンを攻略しました。結局バーブルの援軍は間に合わなかったのです。サマルカンドを失い、今度は本拠地まで失っ…

バーブルとムガール朝興亡史Ⅱ ウズベク・ウルス

バーブルの生涯に関わる世界史級の重要人物が三人います。一人はサファビー朝の創始者イスマイール1世(在位1501年~1524年)。バーブルのサマルカンド奪還を助け軍隊を送ったりもしています。この関係はバーブルの息子フマーユーンとイスマイール1世の息子…

バーブルとムガール朝興亡史Ⅰ バーブルの出自

ムガール朝の創始者ザヒールッディーン・ムハンマド・バーブル(1483年~1530年)の肖像画が残されています。それをみると本を読み思索にふけるおよそ王朝の創始者とは思えない繊細なイメージを持ちます。ちなみにバーブルというのは現地語(トルコ/モンゴル…

南海の黒い花嫁

黒沼健シリーズ第3弾。今回の話は性的描写があるので18禁にします。良い子のみんなは読んじゃ駄目よ(笑)。 一応私のスタンスを述べておきますと、エロ動画とかエロマンガ、エロ小説を見たり読んだりするのは大好きですが、自分から他人に話すことはまずあ…

ミスラムの毒蛇群

黒沼健シリーズ第2弾です。話は17世紀のインドに遡ります。この頃インドは、中央アジアから侵入したムガール帝国が北インドをほぼ統一して南インドへ進出しつつありました。当時のムガール皇帝は第5代シャー・ジャハン(在位1628年~1658年)。世界遺産タ…

死を招く黄金

昔、黒沼健(1902年~1985年)という推理・SF作家がいました。東宝映画「大怪獣ラドン」の原作者で予言者ノストラダムスを日本で最初に紹介した人でもあります。彼は秘境・超古代文明・失われた大陸など少年少女が興味を引きそうな数々の著作を残しています…

シボラと黄金の七都市

※伝説の黄金都市シボラではないかと言われるニューメキシコ州からアリゾナ州にまたがるプエブロ族の集落 マチュピチュの太陽の処女伝説の記事を書いて以来、神秘的な事に関する関心が深まるばかりです。私は熱しやすく飽きやすい性格ですが、その時々はとこ…

湖底に消えた500トンの金塊

シベリアの南東部にあるバイカル湖。湖水面31494平方キロメートル(琵琶湖の46倍)の三日月型の湖です。縮小中のアラル海を除くとアジア最大の湖だそうです。淡水で湖面が澄んでいる事で有名ですが水深は深くなんと最大1741mで世界一。 100年前、この地で悲…

マチュ・ピチュと太陽の処女(おとめ)伝説

かなり前(ブログ開設直後くらい)にマチュ・ピチュ遺跡に関する記事を書いた記憶があります。その際、太陽の処女伝説を紹介したものの出典が分からないと書きました。 その出典がついに見つかりました。本日本棚の整理をしていたところ奥の方から『世界の奇…

団琢磨と血盟団事件

最初に全然関係ない話から。司馬遼太郎の短編小説に『女は遊べ物語』というものがあります。主人公伊藤七蔵政国は織田信長に仕える武士ですが、妻と妾の浪費癖のおかげで武功をあげて所領を貰っても軍役を果たす事が出来ず信長の怒りを買います。ところがそ…

清教徒革命Ⅶ  名誉革命(終章)

※ オラニエ・ナッサウ公、オランダ総督ウィレム3世、英王としてはウィリアム3世 王政復古の立役者、ジョージ・マンクとは一体どのような人物だったでしょうか?彼はイングランド貴族出身ですが軍功をあげながらもチャールズ1世に疎まれ議会派に奔っていまし…

清教徒革命Ⅵ  護国卿クロムウェル

イングランド国王チャールズ1世の処刑は欧州中に衝撃を与えました。なかでもフランスはアンリ4世の娘ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスがチャールズの正室となっていたため激しく反発します。さらにはオランダもチャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ…

清教徒革命Ⅴ  国王処刑

ネースビーの戦いの勝利によって優勢になった議会軍ですが、内部では戦後処理を巡って深刻な対立が生じます。穏健派の長老派と急進派の独立派でした。長老派というのは清教徒(ピューリタン)の一つの宗派で教会を長老制度で統一し他の宗派を許さず国民に厳…

清教徒革命Ⅳ  ネースビーの戦い

クロムウェルが頭角を現したのは、エッジヒルの戦い(1642年10月)で議会派が敗戦した直後だと言われます。彼は議会軍のジョン・ハンプデン大佐に向かって「酒場の給仕や職人の軍隊で上流人士の騎士たちと戦を続けることは難しい。これからは信者の軍をつく…

清教徒革命Ⅲ  革命勃発

※ スチュアート朝第2代国王 チャールズ1世(在位1625年~1649年) イングランド議会が力を持ったのは税を審議できたからだと言われます。国王は国内統治するためにも戦争するためにも資金がなければ何もできません。チャールズ1世は議会が関与しない新税を創…

清教徒革命Ⅱ  国王と議会

※ スチュアート朝初代 ジェームズ1世 ヘンリー7世の娘マーガレットの血をひくとはいえジェームズ1世は、イングランド人にとっては外国人です。国王が即位すべくイングランド入りした時、一つの小さな事件が起こりました。王の行列が滞在したノッチンガム州ニ…

清教徒革命Ⅰ  スチュアート朝の成立

前回、フランスの中世から近世に脱皮するための産みの苦しみとしてユグノー戦争を描きました。清教徒革命とそれに連なる名誉革命は同じくイギリスが近世に突入するための産みの苦しみでした。フランスはユグノー戦争の後もフランス革命・ナポレオン戦争とい…

まあ、わざわざ敵を作ることもないからな

【歴史】「東大寺を戦乱に巻き込むな」…織田信長の書状発見 天正元年(1573年)九月といえば、その前の元亀四年が同年の七月まで。天正には七月二十八日に改元されたばかり。この当時の織田信長の状況と言えば、まさに元亀四年四月十二日に最大の宿敵と…

リチャード3世の謎

【考古】リチャード3世の骨 DNA鑑定で非嫡出子の謎浮上/英レスター大学 リチャード3世といえばヨーク朝最後の王で1485年薔薇戦争ボズワースの戦いでランカスター派の最後の生き残りヘンリー・チューダーとの決戦に敗れ戦死した王として有名です。私のブログ…

ユグノー戦争Ⅴ  ナントの勅令(終章)

※ ブルボン朝の創始者 アンリ4世(1553年~1610年) 1589年8月1日朝7時、ジャック・クレマンと名乗るドミニクス派修道士が国王アンリ3世のもとを訪れました。側近たちは見ず知らずの人物に国王自ら会われることはないと止めますが、「聖職者の要求を拒むこと…

ユグノー戦争Ⅳ  三アンリの戦い

※ ヴァロワ朝最後の王アンリ3世(ポーランド王としては在位1573年~1575年) 摂政王太后カトリーヌ・ド・メディシスがなぜ末娘マルグリットを政敵であるユグノー側の盟主ナバラ王アンリ(ナバラ王としてはエンリケ3世)に嫁がせたかですが、一つはカトリック…

ユグノー戦争Ⅲ  聖(サン)バルテルミの大虐殺

今の若い人は知らないでしょうが、20世紀末を生きていた人たちの間で1999年7の月に人類が滅亡すると云うノストラダムスの大予言がブームでした。世紀末に終末論が流行るのはありがちです。実際19世紀末にも似たような現象が起こっています。 日本でそれを紹…