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マチュ・ピチュと太陽の処女(おとめ)伝説

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 かなり前(ブログ開設直後くらい)にマチュ・ピチュ遺跡に関する記事を書いた記憶があります。その際、太陽の処女伝説を紹介したものの出典が分からないと書きました。

 その出典がついに見つかりました。本日本棚の整理をしていたところ奥の方から『世界の奇談』(庄司浅水著 社会思想社 1958年刊)というとても古い本を発見したんです。たぶん古本屋で買ったのでしょう。懐かしさに浸りながら読み返してみると、太陽の処女伝説を発見。おそらくこの記憶があったから過去記事に書いたのだと思います。

 という事で内容紹介。ただし最近の研究では否定されているのでただの伝説としてお読みください。



 ペルーとボリビアの国境にまたがるチチカカ湖(神の金たらいの意味)があります。標高3810m南米最大の淡水湖で世界最標高の湖だそうです。湖にはチチカカ、コワティという小さな島があり、伝説ではマンコウ・カパクとその姉妻(弟と夫婦になった長姉)が太陽神の命で降り立ちインカ帝国を建国したといわれます。そのため島は神聖視され黄金の太陽神殿が輝いていたそうです。

 インカの皇帝は、神の子孫と尊崇され南米太平洋岸に広大な帝国を築きました。マチュ・ピチュは太陽神信仰の拠点として9世紀頃アンデス山脈奥深くの地に建設されます。険しい山の頂にあり周囲は600mもの深い峡谷に囲まれまさに人跡未踏の地でした。そのような僻地に御影石作りの立派な都を建設したのはまさにインカの人々の信仰心の賜物だったのでしょう。

 インカという文明は不思議な文明だったらしく、文字はなくキープという結縄文字で意思を通じていたそうです。それでいて現代の建築技術でも難しいカミソリ一枚入らない精巧な石造建築や立派な舗装道路が帝国全土に張り巡らされていたそうですから驚かされます。黄金もふんだんに採掘され宮殿や神殿は黄金色に輝いていたと言われます。

 そんな夢のような国が西洋人の耳に入らないわけはありません。1531年欲望に駆られたスペイン人冒険家フランシスコ・ピサロは180人の部下とマスケット銃と多数の馬を引き連れて侵略に乗り出しました。といっても人口1千万以上の超大国インカをたかが200名弱の人間で滅ぼせるわけもなく卑劣な策略を使います。

 生まれて初めて白人を見て神の使いかと勘違いしたインカ人の反応を利用しインカ最後の皇帝アタワルパと会見を申し込みます。のこのこと会見場に現れた皇帝を捕えて人質にしたピサロは、アタワルパの命と引き換えに部屋いっぱいの黄金を要求したと伝えられます。ところが数日もしないうちに部屋が黄金で埋まったことに驚いたピサロは、約束を破って皇帝を処刑し動揺するインカの民衆に対しマスケット銃で無差別虐殺を始めたそうです。

 インカ帝国は、同じく中米の文明でスペイン人に滅ぼされたアステカ帝国と同じく戦争においても敵を殺すより捕虜とする戦い方(後に一部は生贄になる)だったため大混乱しあっという間に首都クスコは制圧されました。クスコには一生を太陽神に捧げるため上流階級から選ばれた清純な処女百名が暮らす太陽の尼僧院があったそうです。

 彼女たちは、野蛮人に穢されるのを恐れインカの隠し都であるアンデス山脈奥深くのマチュ・ピチュに秘かに逃れました。太陽神に仕える神官の案内でウルバンバ峡谷から一部の人間しか知らない険しい山道を登って神殿に辿り着きます。そこは周囲との関係を一切断っても生きていけるほどの農業生産力を持つ広大な段々畑があり、彼女たちはこの地で生涯を終えたそうです。

 ピサロたちは、太陽の処女たちの行方を血眼になって捜したそうですがついに発見できませんでした。そうした中ピサロは黄金の分け前を巡って部下たちと争い暗殺されてしまいます。悪人の末路と言ってしまえばそれまでですが、結局インカ帝国の広大な故地はスペインの植民地となり住民は奴隷として酷使され塗炭の苦しみを味わいました。スペイン人が持ち込んだ伝染病で人口の何割から死滅したそうですからすさまじい。

 長い間その存在が謎だったマチュ・ピチュは1911年アメリカの考古学者ハイラム・ビンガムによって発見されます。彼はマチュピチュの神殿の奥深く神聖な墓所で170名にも及ぶ遺骨を発見しました。その中の150人は女性だったそうです。亡くなった人の最後の一人は、墓に入らずその傍らで息絶えていたそうですから仲間を葬った最後の一人だったのでしょう。

 美しかった処女たちが、世間から隔離され容貌も衰え一人、また一人と死んでいく姿は寂しさを覚えます。特に最後の一人の心境はどうだったでしょう?
 




 これが天空の神殿マチュ・ピチュにまつわる伝説です。ただし最新の研究では人口は最大でも750人あまり(段々畑の生産力から最大人口10万人説は嘘)。男女比率は半々。多くの家族と幼児が生活し処女たちの共同生活の跡は認められなかったなど身も蓋もない話ですから、ここらへんで止めておきます(苦笑)。

 伝説は伝説のまま留めておくことにロマンがありますね。