鳳山雑記帳はてなブログ

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鎮台と師団 近代知識人の反軍的体質

 俗謡に「またも負けたか八連隊、これじゃ勲章九連隊」というものがあります。これは京都・大阪という当時の都市圏から徴兵された兵士は東北や九州の田舎から徴兵された兵士と違って我慢心もなく一旦不利になったらすぐに逃げ出す弱兵であると馬鹿にしたものです。

 ところが、近代戦史を調べてみると第八連隊や第九連隊が属した第四師団は弱兵ではなく帝国陸軍最精鋭部隊の一つだった事が分かります。第四師団はもともと大阪鎮台がベースになっていました。鎮台について簡単に説明すると、明治の健軍時全国に六つの鎮台を置いたのが始まりです。

 すなわち東京鎮台、仙台鎮台、名古屋鎮台、大阪鎮台、広島鎮台、熊本鎮台。鎮台というのは守りを基本とする組織で明治初期続発した士族反乱に対処するためのものでした。ところが、日本が近代軍制を学ぶために招聘したドイツの軍事顧問クレメンス・ウィルヘルム・ヤコブ・メッケル少佐によって鎮台制は近代軍制に合わないと助言されより近代的で機動力のある師団制に改められます。近代戦史に詳しい方ならすぐピンと来たと思いますが

東京鎮台→第一師団
仙台鎮台→第二師団
名古屋鎮台→第三師団
大阪鎮台→第四師団
広島鎮台→第五師団
熊本鎮台→第六師団

となりました。近代日本最初の対外戦争だった日清戦争では基本この6個師団で戦います。ちなみに第四師団の戦歴を書くと、大阪鎮台時代の西南戦争では薩軍の攻撃で大きな損害を出しながらも奮戦し明治天皇から感状さえ頂いています。日露戦争では奥 保鞏(おくやすかた)率いる第二軍に属し(他に第一師団、第三師団、騎兵第一旅団)南山の戦い、遼陽会戦沙河会戦奉天会戦に参加した歴戦師団です。支那事変でも第一次長沙作戦など中支方面の重要な作戦に参加しました。

 大東亜戦争では比島攻略戦に参加、コレヒドール要塞一番乗りなど武勲を立てています。その後ビルマ方面に転用され第15軍隷下タイのランパンで終戦を迎えました。

 これらの戦闘で第四師団が特別弱かったわけではなく、むしろ活躍さえしています。ですから軍関係者の間で冒頭の「またも負けたか~」などという俗謡は生まれるはずないのです。これはどういう事か、私なりに考えてみました。

 するとおぼろげながら見えてきた見たくない現実があったのです。どうも日本人は、欧州のような国民全員が国家と運命共同体となって戦う国家総力戦の実感が無かったのではないかと考えます。特に、知識人と言われる連中は、戦争を他人事のようにとらえていたふしがあります。これは軍学者兵頭二十八氏が言うところの町人根性なのでしょう。

 欧米では、王族や貴族層は自ら進んで軍に入ります。イギリスのウィリアム王子やヘンリー王子もそうですよね。中東でも欧米化されたヨルダンのアブドラ国王が空軍パイロットであることは一連のISIL事件で皆さんご存じでしょう。欧米人の考えでは、恵まれた環境にある者は率先して危険を冒し他の人の見本にならなければならないという考え方が徹底しています。すなわち軍に入って自ら国家の防衛に寄与しなければ国家の指導的立場に就くことはできないと思っています。

 さらに市民も、兵役という義務を果たさねば権利を主張できないという考えが徹底しています。故に国家総力戦が成り立つのです。翻って日本を見てみましょう。さすがに皇室は欧米的な考えを実践し軍に身を投じましたが、華族と呼ばれる連中でどれくらいの人間が軍に入ったかお考えください。むしろ軍に入った華族を変わり者と珍しがる風潮があったことは否めない事実です。日本で言う市民と欧米(というより国際標準)の市民で意味は全く違います。義務なくして権利なし、これが国際標準の市民。義務は果たさないくせに権利だけ主張する、これは国際標準では市民ではなく薄汚い性根を持った町人です。

 このような社会では、軍が軽んじられ知識人と称する層は軍を批判する事がカッコよいと勘違いするようになります。戦後は特にそうですが、私は戦前にもそういう風潮があったと思っています。戦前軍部が暴走した背景にはこのような風潮も影響したはずです。

 そこから考察していくと、冒頭の「またも負けたか~」は、これら知識人が軍を馬鹿にするために流した可能性があります。さすがに九州や東北の兵士は朴訥なのでせめて都会育ちの第八連隊や第九連隊を馬鹿にすることで軍全体を嘲笑してやろうという意図が無かったかどうか?私は確実にあったと思います。

 これは「輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョウトンボも鳥のうち」という俗謡にも当てはまります。以前記事にしたので読んだ記憶のある方もおられると思いますが旧日本軍は補給を軽視していたわけではなく出来る限りの努力を払ったが(でないと近代戦は戦えません!)国力の限界で兵站が破綻したと書きました。

 これも最初は無知な兵士が歌いだしたことを知識人と称する連中が面白がって、あるいは悪意を持って世間一般に流布させたのだと思います。ですから売国奴は戦前から居たのです。


 日本が今後生き残るには、町人では駄目で真の意味での国際標準の市民にならなければならないと思うのは私だけでしょうか?