鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

#歴史

ユグノー戦争Ⅱ  ヴァロワ朝とその周辺

ヴァロワ朝(1328年~1589年)はカペー朝第10代フィリップ3世の四男ヴァロワ伯シャルルに始まる家系です。シャルルの子フィリップの時1328年カペー朝の嫡流が断絶したのを受けて即位しフィリップ6世となりました。ヴァロワ朝は王朝成立直後から百年戦争とい…

ユグノー戦争Ⅰ  ユグノーの誕生

16世紀から17世紀にかけてヨーロッパでは宗教改革の嵐が吹き荒れていました。それは30年戦争という大きな影響をドイツに与えるのですが、フランス、イギリス、オランダという欧州列強にも深い爪痕を残します。オランダ独立戦争、イギリスの清教徒(ピューリ…

シャルル8世  ルネサンスを終わらせた男

ルネサンス、文芸復興とも訳されだいたい14世紀から16世紀にわたりイタリアを中心に栄えた文化です。中世の暗黒時代を終わらせ近代へ繋がる重要な時代と目されていますが、それがいつ終わったかは諸説あります。ただ私はフランス王シャルル8世のイタリア侵入…

カルディアのエウメネス

世界史では無名の人物ながらその生涯に興味をそそられる人物がいます。このエウメネスもその一人。最近では岩明均の漫画「ヒストリエ」の主人公として知ってる人は知っていますね。ヒストリエは作者が遅筆なのでおそらく完結するためには50巻位の超大作にな…

ドゥダーエフ将軍とチェチェン紛争

1996年4月、世界中に衝撃のニュースが駆け巡ります。チェチェン独立運動の指導者ジョハル・ドゥダーエフ大統領がロシアのミサイル攻撃で暗殺されたと云うものです。携帯電話の通話中にその電波をたどって発射された空対地ミサイルでの爆殺は、近代戦の脅威を…

沖縄戦に関する個人的感想

今回のシュガーローフの戦いの記事で沖縄戦三部作は一応完結しました。 まず「異端の参謀八原博通と反斜面陣地」 http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/54981122.html の記事で、第32軍の基本的な戦術を考察し、次に「反斜面陣地の実戦例 沖縄戦嘉数の戦…

沖縄戦シュガーローフの戦い

沖縄都市モノレール「ゆいレール」おもろまち駅南方の丘は都市開発の際、無数の人骨が出土したそうです。この地は日本軍が安里(あさと)52高地と呼び、米軍がシュガーローフヒルと呼んだ沖縄戦最激戦地の一つでした。 安里52高地は、現在では水道タンクがあ…

古代史ファンは興味津津

【イギリス】古代遺跡ストーンヘンジ周辺で新たな建造物群発見、地中に17の神殿 ストーンヘンジと言えば古代ケルト人が6000年前に建造したとされる環状列石遺跡ですが、古代天文台説、太陽崇拝の祭祀場説、ドルイド教の礼拝所説などがありはっきりした事は解…

フォークランド紛争Ⅲ   イギリス機動部隊出撃

イギリス首相マーガレット・ヒルダ・サッチャーは1982年4月3日緊急招集された議会で演説します。 「イギリス領土に対する外国勢力の侵略は久しくなかった事です。政府は準備が整い次第大機動部隊を現地に派遣する決定を下しました」 不況に打ちひしがれてい…

フォークランド紛争Ⅰ   紛争に至るまで

イギリス海軍最後の通常空母アーク・ロイヤル(二代目)は予算削減のあおりを受け1979年退役します。F-4Kファントム戦闘機×14機、バッカニア攻撃機×12機、ガネット対潜哨戒機×4、ヘリコプター×9機など合計39機を搭載するアークロイヤルは大英帝国最後の誇り…

印パ戦争    後編

第2次印パ戦争は両者痛み分けに終わりますが、戦争で疲弊した両国では国民の不満が爆発します。特にパキスタンは深刻な東西問題を悪化させていきました。 パキスタンは英領インドのうちイスラム教徒が中心に建国した国ですが、国土が東西に分かれていたため…

印パ戦争    前編

印パ戦争とは、第1次(1947年)、第2次(1965年)第3次(1971年)と三度にわたってインドとパキスタンとの間に繰り広げられた戦争で、最終的にパキスタンの飛地だった東パキスタンが独立しバングラデシュとなって終結しました。 高校世界史程度ではほとんど…

清和源氏斯波氏一族官位表

我ながら暇だと思いますが、奥州大名の家格を調べていくうちに奥州と深いかかわりを持つ斯波氏の官位はどうだったのか調べたくなりました。軽い気持ちで始めたのに結局徹夜してしまった(爆)。 斯波氏は足利一門、足利氏四代泰氏の長男家氏から始まります。…

戦国時代奥羽各大名の家格

留守氏と云えば、鎌倉時代頼朝から奥州留守職に任命され現在の宮城県仙台市宮城野区にある岩切城を中心に栄えた一族ですが、戦国時代勢力は衰えても家格の誇りだけは失わなかったようです。 留守氏の家老余目氏が伝えた余目氏旧記は、留守家旧記とも呼ばれ…

どうでもいい歴史ニュースなんですが、ちょっと感心したもので…

【文化財】太閤検地の先駆け 秀吉の自筆見つかる 兵庫・たつの 脇坂氏って、最後は播磨国龍野に封じられていたんですね。家祖の脇坂安治と云えば、賤ヶ岳の七本槍の一人。その後淡路国洲本に封じられ脇坂水軍として朝鮮の役でも大活躍。一時は李舜臣の朝鮮水…

九州各国 郡別石高表(暫定版)

ネットでは郡ごとの石高見つからないと嘆いていたら、九州だけはありました(笑)。これは某サイトに出ていた数字を自分で一覧表にまとめたものです。ただし抜けが一部あったのであくまで暫定版です。薩摩と大隅は特に自信なし。 いつの時代か分からないんで…

豊後国石高表

またまた歴史マニアしかついてこれない話題です(笑)。仙台藩領の各郡石高を調べたので他の地方はどうだったか調べてみました。といってもなかなか資料が見つからず、ネットでようやく発見したのが豊後国(現大分県の大部分)の石高です。 ただ私の望んでい…

仙台藩伊達家石高表

一部の歴史マニアの方だけが狂喜乱舞する資料です。興味のない方はどこが凄いのかさえ理解できないでしょう(苦笑)。「宮城県の歴史」(高橋富雄著 山川出版)に載っていた資料を分かりやすく一覧表にまとめたものです。 これを見ると、葛西氏20万石、大崎…

盛岡藩初代藩主 南部信直

陸奥南部一族宗家二十四代三戸南部晴政(1517年~1582年)には実子がいませんでした。そこで父安信の弟で有力庶家を形成していた石川高信の子信直を自分の娘婿とし養嗣子としました。晴政と信直は従兄弟の関係にあたります。 石川高信は有能な武将で、晴信の…

弘前藩と盛岡藩の増産策と家格向上運動

石高というのは大名の家格を決めるバロメーターですが、実は一般に言われている石高というのは表高で幕府が各大名の軍役を決める基準にすぎませんでした。一方、内高というのもあってこれは実際の領地の生産高を言います。 ですから、くだらないプライドを捨…

南部氏糠部(ぬかのぶ)郡入部の謎

陸奥南部氏と云えば、南北朝、戦国という激動の時代を生き抜き盛岡十万石(のち二十万石)の大名として幕末まで続いた一族です。しかし歴史の中で登場したのは南北朝時代。鎌倉以来の歴史を誇る一族ではありますが、陸奥下向以来南北朝までの動向が謎なので…

北部(きたべ)王家と蠣崎の乱

鎌倉時代までの陸奥北部(現青森県)には旧弘前藩領にあたる西半分を占める津軽郡と、旧南部藩領の東部糠部(ぬかのぶ)郡の二つしかありませんでした。これは開発の遅れた辺境の地だったことも影響していたのでしょう。しかし、時代が経るにつれ津軽郡は田…

出羽戸沢一族

秋田を代表する戦国大名といえば、檜山と湊の安東氏、横手盆地の小野寺氏、そして仙北角館の戸沢氏ですが、「前二者を書いて戸沢氏を紹介しないとは何事か!」と地元の方にお叱りを受けそうなので記事にしました(笑)。 戸沢氏は平忠盛(清盛の父)の弟忠正…

秋田城介と奥州留守職(るすしき)

学校で日本史を学んだ大半の人は覚えておられると思いますが、日本の律令体制では四等官という仕組みがありました。かみ(長官)すけ(次官)じょう(判官)さかん(主典)というやつです。これは唐の律令制を参考にしたもので当てられる漢字は違えどもほと…

出羽小野寺一族

私は一つの事に興味を持つと徹底的に調べなければ気が済まない性質ですのでしばらく東北シリーズが続きます。興味の無い方はスルー推奨です(笑)。 さて出羽国には時代によって消長がありますが中世から江戸期にかけて12郡ありました。すなわち田川郡、…

出羽長井氏のその後

私はどうも一度疑問を抱くと納得するまで徹底的に調べないと気が済まない性質でして、この記事もそうなんです。一般の方にはどうでも良い話題で全く役にも立たない知識なのでスルー推奨です。 戦国最上戦記の記事で、置賜郡の領主長井氏が伊達宗遠・政宗父子…

戦国最上戦記外伝  戦国奥羽の関連人物小史

戦国最上戦記完結の余韻がなかなか冷めやらない私ですが、本編で紹介しきれなかった最上・伊達関係の関連人物について語りたいと思います。 「木村吉清」 葛西大崎一揆の扇動者が伊達政宗なら引き起こした張本人がこの人。NHK大河「独眼竜政宗」の牟田悌三さ…

戦国最上戦記Ⅴ  山形五十七万石    終章

秀吉の奥州仕置は、奥羽の諸大名に大きな影響を与えました。とくに伊達政宗は葛西大崎一揆扇動の疑いをもたれ(実際扇動していましたが…)、なんとか疑いは晴らしたものの本領伊達・信夫・置賜三郡(他に刈田、田村、安達で計6郡)を没収され旧葛西・大崎領…

戦国最上戦記Ⅳ  中央政権と最上氏

※ 最上義光 話は少し遡ります。父稙宗を隠居に追い込み天文の乱に勝利した伊達晴宗は、本拠を出羽国置賜郡米沢に移し残りの生涯を戦乱で荒れ果てた領国の再建に努めました。しかし伊達氏の基本戦略である拡大路線は引き継ぎ、長男親隆を岩城氏に、三男政景を…

戦国最上戦記Ⅲ  最上義光(よしあき)の台頭

戦国大名伊達氏の富強は九代大膳大夫政宗が出羽国最南端の置賜郡を制圧してからでした。これで本拠の陸奥国伊達郡、信夫郡と合わせてざっと30万石になります。この数字がいかに大きいかと言うと、戦国時代最上義光が生涯かけて征服した石高が24万石弱(後に…