ダービーウィークですのでダービーにまつわる私の思い出を書き綴っています。実はこの1997年のレース、私が馬券を取った初めてのダービーでした。
私は、さすがにGⅠはフロックでは取れないと思い馬券から外すのは無謀だと思っていましたが、やはり一抹の不安があり軸にはできませんでした。
ジョッキーもダービーはおろか他のGⅠにもあまり縁がない大西騎手。ベテランで地味なジョッキーでしたが、レース前の彼のコメントが非常に印象に残っています。
「1番人気はいらない。1着が欲しいんです」
そしてダービー本番、サニーブライアンは宣言通り皐月賞と同じ戦法、「逃げ」で挑みました。さっそうと逃げるサニブーを評価してなかった連中は最後の直線で
(もう潰れるだろう)(そろそろダレてくるだろう…)
などと期待したことでしょう。しかしサニブーはダレるどころかさらに伸びて後続馬を突き離しにかかります。
(もう潰れるだろう)(そろそろダレてくるだろう…)
などと期待したことでしょう。しかしサニブーはダレるどころかさらに伸びて後続馬を突き離しにかかります。
そして自分をフロックした連中をあざ笑うかのように堂々の逃走劇、見事でした。
ちなみに私は2着の入ったシルクジャスティスを軸にしていたためダービーを取ることができました(笑)。結構美味しい配当だったように思います。
レース後の大西ジョッキーの男泣きが今でも頭を離れません。それは自分の愛馬を信頼し精いっぱい戦った男の満足しきった涙だったのでしょう。
大西ジョッキーを男にしたサニーブライアンですが、レース後骨折が発覚三冠目の菊花賞に挑戦することなく無念の引退となりました。今でも私はひょっとしたらサニーブライアンは三冠馬になっていたかもしれないと思っています。