鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

ダービーの思い出(2)  サニーブライアンと大西ジョッキー




 ダービーウィークですのでダービーにまつわる私の思い出を書き綴っています。実はこの1997年のレース、私が馬券を取った初めてのダービーでした。


 皐月賞を人気薄で制し5万馬券の当事者になったサニーブライアンは、皐月賞馬にもかかわらずフロックと言われ続け本番ダービーでも6番人気でした。

 私は、さすがにGⅠはフロックでは取れないと思い馬券から外すのは無謀だと思っていましたが、やはり一抹の不安があり軸にはできませんでした。


 ジョッキーもダービーはおろか他のGⅠにもあまり縁がない大西騎手。ベテランで地味なジョッキーでしたが、レース前の彼のコメントが非常に印象に残っています。

 「1番人気はいらない。1着が欲しいんです」

 それは自分の愛馬を、皐月賞の大舞台を制しながらそれまでの臨戦過程が悪かったことからフロック視し馬鹿にしていたスポーツマスコミと一部のファンに対する精いっぱいの抵抗だったのでしょう。


 そしてダービー本番、サニーブライアンは宣言通り皐月賞と同じ戦法、「逃げ」で挑みました。さっそうと逃げるサニブーを評価してなかった連中は最後の直線で
(もう潰れるだろう)(そろそろダレてくるだろう…)
などと期待したことでしょう。しかしサニブーはダレるどころかさらに伸びて後続馬を突き離しにかかります。


 そして自分をフロックした連中をあざ笑うかのように堂々の逃走劇、見事でした。


 ちなみに私は2着の入ったシルクジャスティスを軸にしていたためダービーを取ることができました(笑)。結構美味しい配当だったように思います。



 レース後の大西ジョッキーの男泣きが今でも頭を離れません。それは自分の愛馬を信頼し精いっぱい戦った男の満足しきった涙だったのでしょう。


 大西ジョッキーを男にしたサニーブライアンですが、レース後骨折が発覚三冠目の菊花賞に挑戦することなく無念の引退となりました。今でも私はひょっとしたらサニーブライアン三冠馬になっていたかもしれないと思っています。



 ちなみにこのレース、私が大好きだったメジロブライトサイレンススズカも出ています。のちに古馬GⅠを制した名馬たちを負かしたのですからサニーブライアンはやはり強かったのでしょう。