グロースドイッチュラント師団は第2次大戦中ドイツ陸軍きってのエリート師団です。装甲教導師団とともに最新装備を優先的に配備されました。最初は歩兵連隊から始まり次第に拡充され1942年自動車化歩兵師団、ついで1943年6月には最新のティーガーⅠ戦車を装備する戦車連隊を加えられ装甲擲弾兵師団に改編されます。
通常、武装親衛隊(SS)以外、ティーガーⅠ戦車が一般師団に配備された例はなく独立重戦車大隊を編成するのが常でしたが、グロースドイッチュラント師団はその例外で、それだけ期待されていたという事でしょう。もともとワイマール共和国時代、共産主義者やファシストによる革命を防ぐために編成されたベルリン衛兵連隊が前身だったという事もあったのかもしれません。
ただ、軍統制上一部の部隊を優遇するというのが正しかったかどうかは疑問です。ソ連でも親衛を冠したエリート部隊を作りましたが、米英ではあまり聞いたことがありません。イギリス、日本は近衛連隊や近衛師団を創設しましたが、これは王室や皇室を守るためですしね。米英のように装備が有り余っている国はすべての師団を等しく強化できたのでしょう。米軍の歩兵師団は実質自動車化歩兵師団ですから。
上図は装甲擲弾兵師団に改編される直前の自動車化歩兵師団の戦闘序列ですが、装甲擲弾兵師団に改編後は戦車大隊が戦車連隊に拡張され、1個戦車連隊、1個装甲擲弾兵連隊、1個装甲軽歩兵連隊、1個装甲砲兵連隊を基幹とする実質装甲師団に生まれ変わりました。
GD師団は主に東部戦線で活動し1945年4月、ケーニヒスベルク(現カリーニングラード)近郊のピラウで激戦の末ほぼ壊滅します。なお、グロースドイッチュラント師団の予備旅団が1945年編成されますが、本隊に合流することなく独立した戦闘団として東部戦線に投入されました。これがのちにクーアマルク装甲擲弾兵師団に改編されベルリンの戦いに参加します。クーアマルク装甲擲弾兵師団の戦闘序列はネットで調べても分かりませんでしたが、編成の経緯から正規師団としての規模はとてもなかっただろうと想像します。戦車定数も満たしていなかったでしょう。
装甲教導師団の師団長と言えば、DAK(ドイツアフリカ軍団)でロンメルの参謀長を務めたバイエルライン中将が有名ですが、GD師団にも有名人がいます。それは第2代師団長(1944年1月~9月)を務めたマントイフェルです。マントイフェルはドイツ国防軍史上最年少で大将に昇進し、バルジの戦いで第5装甲軍司令官、ベルリンの戦いでは第3装甲軍司令官でした。
上司のヴィスワ軍集団司令官ゴッドハルト・ハインリキ上級大将と組んで劣勢の中ソ連軍を遅滞戦闘で苦しめ、敗戦直前イギリス軍に降伏するという離れ業を演じた有能な将軍でした。戦後ドイツ連邦共和国(西ドイツ)の連邦議会議員になっています。
米英からも一目置かれ、NATOの兵棋演習ではアドバイザーとして参加、対ソ作戦計画の策定に寄与したと言われます。おそらく東部戦線で強大なソ連の戦車軍団と戦ったマントイフェルの知見がかなり役立ったのでしょう。ドイツの軍人は戦後も第一線で活躍しているのに、日本では戦後軍人が活躍した例はほとんどありませんね。源田実や辻正信くらいか?瀬島龍三もいますが、ソ連のスパイ疑惑が抜けない怪しい人物ですしね。