鳳山雑記帳はてなブログ

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結局は軍事ドクトリンの致命的なミスなんだろうね

WW2 フランスはどうしたらドイツに勝てたか

 一部のネット界隈で話題になってたので私もちょこっと参戦(笑)。

 第2次大戦時、フランスはドイツにわずか一ヶ月ちょっという極めて短い期間で完敗し占領されました。ドイツ側から見ると理想的電撃戦とまでいわれダンケルクの失策以外はほぼパーフェクトゲームだったのですが、逆にフランス側から見るとその敗因は何だったのでしょう?

 当時のフランスは、さすがにナポレオン全盛期のような圧倒的軍事力ではなかったもののドイツに簡単負けるような軍備ではありませんでした。少なくともイタリアよりははるかに強力な軍隊だったと言えます。実際にドイツに便乗してイタリアもフランス南東部に侵攻しましたが弱体化した当時のフランス軍にさえ叩きだされる始末でした。戦闘機も戦車も当時のドイツよりも強力なものを装備していたという事実もあります。海軍に関しては互角以上の力を有していました。

 では、敗因は何だったのでしょう?私は軍事ドクトリンの致命的なミスにあったのだと考えます。第1次大戦で勝ちはしたものの大きな損害を出したフランスは、二度と敵(ドイツ)に国土を蹂躙されないため国境線で防ぐという基本戦略を決めました。そのために独仏国境にマジノ線という長大な要塞線を築くのです。総工費160億フラン、維持費も年間140億フランと言う巨額なものでした。108という主要塞を15km間隔に配置し大小さまざまな火砲を分厚いコンクリート砲台で守り、さらに機関銃陣地、トーチカ、戦車を防ぐ戦車壕、鉄条網、地雷原を配置、正面突破はほぼ不可能と言われます。

 フランスは、マジノ線に国防予算の大半をつぎ込み万全の態勢を敷いたと豪語していました。ところがドイツ軍はマジノ線ではなく機甲部隊の突破が不可能と言われたアルデンヌの森を通って侵攻したのです。ここにはほとんど防備がなされていませんでした。

 要塞線の後ろに回り込まれたフランス軍は、なすすべもなく要塞線の部隊と、後方に配置された部隊を分断され各個撃破されていきます。これが極めて短期間で崩壊した原因です。個々の兵器の性能では上回っていても軍事ドクトリン自体が致命的に間違っていたのです。

 フランス軍は、第2次大戦も第1次と同様塹壕戦になると読んでいました。ここが最大の間違い。戦争と言うのは刻々と技術も軍事思想も進化します。無敵だったスペインのテルシオ戦術がオランダのマウリッツ式やスウェーデン式に敗れたように、あるいはナポレオン戦術が旧来の軍隊を圧倒したように、近くでは大艦巨砲主義日本海軍の航空主兵主義に葬り去られたように。

 フランスは、旧来型の戦争が永遠に続くと思っていたのでしょう。それはフランス軍が悪いというよりフランス政府自体の怠慢だったと考えます。そういえば第1次大戦後のフランスは左派政権が続きました。さすがに日本のように非武装中立論のような基地害は出現しなかったものの、硬直した考え方は融通が利かなかったのでしょう。

 その意味では、日本もこれを反面教師とし国家防衛を真剣に考えなければいけないでしょうね。それには国民が平和ボケから目覚め厳しい世界の現実を知ることだと思います。国民のレベル以上の政治家は生まれないのですから。



 さて、本題の当時のフランスがどうすれば勝てたかですが、まずマジノ線のような防御的戦略に頼らずドイツのような戦車を中心とした機動的軍事ドクトリンを採用すべきだったと思います。陸軍はこれで良いとして、空軍も史実のようなバラバラな配置でなく集中配備すべきでしょうね。それとフランス空軍は対地攻撃が弱い。これも改善項目です。海軍も空母を中心とした機動部隊化。ドイツ本土への逆上陸能力も必要。もちろんそうなれば国土が戦場になりますから第1次大戦以上の被害を受けるでしょう。そうしないためにはドイツに逆侵攻する必要がありますが、それは当時のフランス政府の優柔不断ぶりからしても実現しそうもありません。

 書いてて恥ずかしくなるような現実離れの想定です。結局負けるべくして負けたという事でしょう。ただ、これらのいくつかを改善したら一カ月ちょっとで完敗するという醜態だけは避けられたかもしれません。