鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

イタリア戦線におけるドイツ軍

イメージ 1
 
イメージ 2
 
 第2次世界大戦ヨーロッパ戦線の戦記ものを読むとほとんどが西部戦線と東部戦線を扱ったものでバルカンやイタリア半島を扱った南部戦線ものはあまり多くありません。南部戦線に関しては北アフリカの戦いばかりというのが現状です。
 
 とくにイタリア戦線を担当したドイツ軍C軍集団に関しては戦闘序列(Order of battle)を始めとしてほとんど資料が揃わないのが現状です。ネットで海外のサイトに当たったりしましたがそれでもあまり良い資料を見つけられませんでした。その中でかろうじて分かったのが1944年5月時点、イタリア半島中部グスタフライン攻防戦時のドイツ陸軍C軍集団の戦闘序列です。
 
 といってもこれは固定ではなく、その前後で大きく師団は入れ替わっています。おそらく歩兵師団はそのままでしょうが、武装親衛隊(SS)を入れても全部で37個しかない虎の子の装甲師団(戦車を中心とした師団)と準装甲師団ともいうべき装甲擲弾兵師団(他国では機械化歩兵師団と呼称)は戦局の推移に従って他戦線に抽出されていきました。
 
 C軍集団は、もともと対フランス戦でマジノ線の正面を担当しフランス軍を拘束する役目でした。その間にA軍集団とB軍集団が主攻勢を担当して電撃戦でフランスを降した事はよく知られています。その後対ソ戦でC軍集団は北方軍集団と改称されレニングラード攻略を担当します。
 
 ところが北アフリカ戦線の失敗からイタリア本土が危機的状況になった1943年11月、あらたにこの方面を担当する部隊の必要性が生じ再びC軍集団が編成されました。この当時のC軍集団司令官は空軍元帥アルベルト・ケッセルリンク。隷下部隊にもヘルマン・ゲーリング師団や降下猟兵師団(他国では空挺師団)など空軍地上戦部隊が多く含まれました。
 
 降下猟兵はともかく、空軍が何故装甲師団を持つのか疑問に思われる方が多いと思います。それもそのはず、これは空軍総司令官ゲーリングの我儘から出ているのです。自分のお気に入りの特殊警察大隊をそのまま陸軍に移籍させたくなかったため、強引に空軍所属として拡充したヘルマン・ゲーリング連隊がその前身です。
 
 連隊はその後どんどん増強され1942年7月旅団昇格、10月には師団になりました。そしてなんと戦車部隊を加えて装甲師団にまで成長したのです。虎の子の戦車部隊をこんなゲーリングの我儘で空軍にもっていかれた陸軍の憤懣は想像して余りあります。東部戦線でも西部戦線でもあと1個装甲師団があればという局面が何度もありましたから。
 
 イタリア戦線のC軍集団は、空軍のケッセルリンクが総司令官となり空軍地上部隊主体の部隊となりました。よく陸軍が納得したと思いますが、結果論として言えばケッセルリンクは有能で精鋭の降下猟兵師団の活躍もあり少ない兵力で米英連合軍の侵攻を良く食い止め時には多大の出血を強いるという理想的な戦いを行います。
 
 C軍集団のうち、正面の防衛戦を担当したのが第10軍、第14軍は後方を担当しました。その後イタリアの脱落、ムッソリーニサロ共和国イタリア社会共和国)が北イタリア北部に成立するとリグニア軍集団が編成されC軍集団からも第5山岳師団、第34歩兵師団が抽出され独伊連合軍のリグニア軍集団編入されます。
 
 C軍集団は、1945年5月には連合軍に北部イタリアのアルプス山麓に追いつめられ5月2日降伏しました。