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大日本帝国海軍南西方面基地航空隊

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 完全に趣味の記事です(笑)。二次大戦の戦記ものを読んでいてラバウル航空隊の戦力ってどのくらいだったか気になった事はありませんか?私はあります。ただ、ラバウルに展開した海軍の基地航空隊と陸軍航空隊は時期によって移動があるためはっきりしていないんですよね。

 最近読んだ本でちょうど良い資料がありましたので分かりやすく一覧表にしてみました♪戦史に詳しくない方はチンプンカンプンだと思うのでスルーしてくださいな。元海軍中佐・航空参謀の奥宮正武さんの「ラバウル海軍航空隊」(朝日ソノラマ文庫)に載ってた資料です。時期は1942年11月。ミッドウェー海戦後米軍がガダルカナル島に上陸したのが同年8月7日。その後第1次、第2次ソロモン海戦サボ島沖海戦、直近の11月12日には第3次ソロモン海戦が起こります。そして11月30日のルンガ沖夜戦勝利を最後に日本海軍は勝運に見放され転落の一途を辿りました。

 実はラバウル航空隊という部隊はなく、ラバウルに進出したのは南西方面艦隊所属の第11航空艦隊(基地航空隊)でした。ラバウルはニューブリテン島の要衝で天然の良港と複数の大規模飛行場があったため日本海軍が目を付け占領。一大航空基地を築きます。米豪遮断作戦の根拠地となり得る要地でした。1942年11月ですからおそらく最盛期前後。米軍との航空消耗戦でへとへとになっていく直前です。それでも600機近い規模を誇っていたんですから日本軍がいかにラバウルを重視していたか分かりますね。

 図表で艦上戦闘機となっているのはおそらく零式艦上戦闘機です。元資料では戦闘機となっていたんですが局地戦闘機である雷電は初飛行したばかりで不具合が続出していた時期。紫電に至っては初飛行前(1942年12月27日)でした。艦戦といえば九六艦戦もありますが、まさか最前線に旧式機を持ってくるような愚は犯さないだろうということで、ほぼ零戦で確定です。艦攻は九七艦攻、艦爆は九九艦爆でしょう。陸上攻撃機に関してはほぼ一式陸攻だとは思いますが、一部旧式の九六中攻が残っている可能性もあります。水上戦闘機は二式水戦で間違いなし。高性能の強風は生産数百機たらずでもし実戦配備されていたとしても本土のみでしょう。

 飛行艇二式大艇と九七大艇で五分五分。二式大艇はソロモン方面にも進出していたので可能性は高いです。ちなみに第801航空隊は1942年10月1日に二式大艇に再編されラバウルに進出しているので保有は確実です。802は1943年9月18日のマキン空襲で機体全損後の再編成で受領っぽい。

 陸上偵察機は二式陸偵かな?有名な第251航空隊(台南空)は装備してたからね。ちなみに第253航空隊が鹿屋空です。



 蛇足ならがら、表のすべての部隊がラバウル基地にいたわけではありません。ソロモン諸島ニューギニア東部に進出した過程で隷下部隊を派遣して行きました。ガ島対岸ツラギ島の二式水戦部隊とか有名ですよね♪


 今、書きながら気付いたんですが戦闘機は重戦の月光の可能性もあるな。だから資料では艦戦ではなく戦闘機となっていたのか?二式陸偵があるんだから、その戦闘機型の月光があると考えるのが自然ですよね。ただ1942年7月が制式採用だからもしあったとしても少数でしょう。