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宮城谷さん、素人に嘘を教えてもらっちゃ困ります

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 五日夜、NHK教育テレビをなにげなく見ていると、『知る楽』という番組で私の大好きな歴史作家、宮城谷昌光さんが出演しておられました。テーマは「孟嘗君と戦国時代」。本日は第一回ということで戦国時代全般について紹介した回でした。

 よく纏められて、中国古代史が初めての人にも分かりやすい内容で好感が持てました。ただ、一点とても気になる事がありましたので、歴史を知らない人が誤解するといけないと思い、大きなお世話ですが老婆心ながら書かせていただきました。

 宮城谷さんは、戦国時代初期に天下に広く人材を集めて強大化した『魏』の文侯を非常に高く評価しておられました。ところが孔子の高弟、子夏に師侍し儒教的価値観である徳によって戦争をせずに天下に君臨したという宮城谷さんの言を聞いた時に、一瞬わが耳を疑いました。


 「おいおい、嘘をいっちゃいかんよ…」思わず画面に向かって独り言をいったくらいです(苦笑)。

 魏の文侯が名君なのは認めます。子夏を招いて儒教的政治をしたのも事実でしょう。実際、文侯の下で活躍した優秀な人材、李克・西門豹そして呉起も彼の弟子ですから。

 しかし、戦争をまったくしなかったというのは大嘘。趙を通り越して中山を滅ぼしたのは紀元前407年だから、まさに文侯の時代(在位:紀元前424年 - 紀元前387年)だし、将軍呉起を登用して西方の秦を攻め黄河の湾曲部を越え領土を奪い西河郡を設けたのは文侯の時代のことじゃないですか!

 圧倒的な軍事力で国際的な威信が高かったからこそ、周辺の諸侯が入朝して戦国時代初期に覇者になれたんですよ。そうじゃなかったら、たかが徳治政治で国内が安定したぐらいで誰が相手にしますかいな!
 これで軍事力が弱体化してたら、周辺諸国は切り取り放題ですよ。

 それに文侯自身、呉起を登用するときに目的は富国強兵だって言ってるじゃないですか。文侯は戦争が嫌いなんじゃなくて、勝てる戦争しかしなかったってことです。

 宮城谷さんに好意的に解釈すると、テーマが孟嘗君なので『徳』を強調したかったのではないかと想像しているんですが、文侯が戦争を嫌い徳による政治で諸国が入朝したというのは間違い、いや大嘘です。

 戦国時代に徳によって国を治めた(そう謳っていた君主はいそうですが…)君主はいません。いや可能性は非常に低いですが小国の君主ではいたかもしれません。が、私の知る限り戦国七雄と言われる有力諸国にはいなかったと思います。

 春秋時代に拡げても、秦の穆公も斉の桓公も対外的には『徳による政治』を謳っていましたが、皆軍事力による裏づけを持っていました。『徳による政治』は理想ですが、『非武装中立』といっしょで歴史的に見てもまったく非現実的です。

 宮城谷さんは、好きな作家だけに残念です。なんであんな事言ったのかなあ???でも、それ以外は面白かったので次回も見ます。