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春秋戦国史Ⅱ  春秋列国・前編(姫姓の諸侯)

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 本稿では、この時代の理解を深めるために当時支那大陸に存在した主要な諸侯国を紹介しようと思います。周代の諸侯は大きく分けて二つあり、周室と同姓(一族)の姫姓諸国と、周室以外の出身である異姓の諸国がありました。まずは姫姓の諸国から。

◇鄭
 爵位は伯爵。周王室11代宣王の同母弟、姫友(桓公)が始祖。最初に封じられたのは陝西省華県の東にあった鄭。12代幽王の時代に、王室の混乱を見て河南省に国ごと移るという恐るべき先見の明を見せる。新しい首都は新鄭とよばれた。桓公の息子である次代の武公は、周辺諸国を滅ぼし強大になる。周の平王が首都を洛邑に移すとこれを助けた。覇者の条件である会盟(諸侯会議)こそ開かなかったが、事実上最初の覇者。

 ただ都市国家から領域国家の時代に移ると、衰退し周辺の強国の草刈り場になる。世界史上初の成文法を定めた宰相、子産で有名。最後は紀元前375年分裂した晋の後継国家の一つ韓に滅ぼされた。


◇晋
 始祖は周王朝2代成王の弟虞。山西省唐に封じられたので唐叔虞と呼ばれる。爵位は当初侯だったが強大化した後は公と称す。虞の子晋侯燮の時代に汾水の支流晋水にちなんで晋と改称。11代昭侯の時代、伯父の成師が曲沃に封じられ分家を興す。曲沃は善政を布いて強大になり翼にある本家を凌ぐようになる。曲沃は三代武公姫称の時代についに本家を滅ぼし乗っ取った。武公は晋宗家18代を継いでからの諡号晋は最初山西省の辺境にあったが、周辺の蛮族を従えて強大になり春秋時代を通じて南の楚と並び立つほどに成長した。

 春秋時代末期には六卿(りくけい)と呼ばれる有力貴族に国政を壟断され公室は衰える。六卿は時代によって交替があるが、最後は韓氏、魏氏、趙氏、知氏(荀氏の分家)、中行氏(荀氏の本家)、范(士)氏で形成された。これも互いに争い、紀元前376年韓魏趙三氏が勝って主家の晋公室を滅ぼし領土を分割した。これが戦国時代の始まりとされる。


◇衛
 爵位は伯爵後に侯爵。始祖は周の文王の九男康叔。商王朝最後の都朝歌に封じられ商の遺民を支配。中原の中心地に位置し最初は繁栄するが紀元前660年異民族の狄に滅ぼされ黄河南岸の曹(河南省東部)に遷都した。その後楚丘、帝丘(ともに河南省)と遷都を繰り返すがそのたびに衰退し最後は魏の属国になった。名目上はその後も存在するものの秦ニ世皇帝胡亥によって最後の君主衛君角が廃されて滅亡。紀元前209年の事である。


◇呉
 爵位は子爵。始祖は文王の伯父太伯。詳しくは別稿で触れる。支配者は姫姓でも国土が蛮地である長江下流姑蘇(現在の蘇州)にあったので長らく中原諸侯からは蛮夷の国だと蔑まれた。呉は逆に開き直り周の封建制では許されない王号を称す。呉王寿夢の時代に強大化し、孫の闔閭(こうりょ)は大国楚を滅亡寸前まで追い詰めた。江東の地は沼沢が多い土地ではあったが開拓が進めばもともと稲作発祥地に近く潜在生産力は大きかった。また金属資源も豊富であったことが台頭の原因。

 闔閭の息子呉王夫差と越王勾践の臥薪嘗胆の故事は有名。実質的に闔閭の時代は覇者の実力を備えていたが、実際に会盟を開いたのは息子の夫差であった。紀元前473年越により滅ぼされる。



◇魯
 兄武王を助け周の天下統一に貢献した有名な周公旦が封じられた国。爵位は侯爵。山東省西部にあった。都は曲阜。中原の東のはずれにあり文化国家で知られていたが、周辺を斉や晋に囲まれていたため常に隣国の介入を受け衰退した。公室も桓公から出た分家の三桓氏(季孫子、叔孫子、孟孫子)に壟断され実権を奪われる。儒教の祖、孔子の出身国。紀元前249年楚に併合され滅亡。



◇燕
 始祖は周公旦の弟でやはり建国の功臣である召公(しょうこうせき)。最初は河南省開封に近い南燕に封じられる。爵位は伯爵。後、辺境の薊(けい、河北省北京近く)に移った。春秋時代は弱小国の一つだったが戦国時代昭王が出た事から強大化し戦国七雄の一つに数えられるようになる。昭王は楽毅を登用した事で有名。紀元前222年秦に滅ぼされる。




 長くなるので異姓の諸侯に関しては後編で紹介します。