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イギリス戦車「センチュリオン」

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設計は堅実で、かなりの余裕と発展の余地があったため、各国で独自の改修型、派生型が発生。南アフリカオリファントのように、外見上はもはや別物化したものまで存在する。
第二次世界大戦まで、イギリス陸軍は戦車を機動戦に使用する巡航戦車と歩兵を援護する歩兵戦車に分けて開発、運用していたが、アフリカやヨーロッパでのドイツ軍との戦闘で巡航戦車は装甲の貧弱さ、歩兵戦車は機動力の無さを曝け出し、またドイツ軍の重戦車を撃破可能な17ポンド砲が砲塔が狭すぎ搭載不能であった為、両者の長所を兼ね備えた強力な戦車の開発が進められた。
そうして開発されたのがセンチュリオンMk.1である。日本同様の狭軌鉄道である英国内での輸送を考えた車幅制限が撤廃され、大直径の砲塔リングが使用可能となったセンチュリオンMk.1は17ポンド砲を搭載し、ドイツ軍の重戦車と正面から撃ち合って耐えられる程の装甲を持つ強力な戦車だったがサスペンション等は保守的な部分を残していた。
その開発はA41巡航戦車として始まった。原型20両はミドルセックスのAEC社に1944年に発注され、1945年に最初の6両が完成し前線に投入されたが、投入後すぐにドイツが降伏したため本格的な戦闘は経験しなかった。

                  - フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より -

 歩兵戦車と巡航戦車の二つの系統で迷走したイギリス陸軍が、はじめて開発した優秀戦車です。しかし第二次大戦では間に合わず、むしろ戦後活躍しました。イギリスの兵器開発の長所である余裕のある設計は、改修をかさね現代まで使用されていることでも証明されています。

 センチュリオンといえば、イスラエル陸軍による中東戦争が有名ですが、なんと西側戦車とも戦っています。それは印パ戦争での出来事です。パキスタンのM47、M48パットン(アメリカ製)と交戦したインド陸軍のセンチュリオンは、待ち伏せ攻撃で圧勝します。
 第二次大戦中、まともな戦車を持たずアメリカのシャーマン戦車にお世話になったのが逆転したのですから皮肉なものです。

 初期型の17ポンド(76.2mm砲)から、105mm砲にまでパワーアップされ、イスラエル陸軍ではメルカバ戦車の影ながらまだまだ使用されています。息の長い戦車だといえます。そういえばソ連のT-34もいまだに使用する国があるみたいですから、いつか老骨対決があるかもしれませんね。