
前記事で、砲兵ってそんなに面倒くさいものなのか?って分かって頂けたと思います。
前記事のカノン砲だけでなく、榴弾砲、対戦車砲、高射砲、歩兵砲なども装輪式、装軌式、あるいはハーフトラックの違いはあれど何らかの牽引手段がなければ移動もままならないのです。モータリゼーションが進んでいない国では軍馬がまだまだ現役でした。
日本の九二式歩兵砲のように分解して人力でっていうとんでもない発想の火砲もあるにはありましたが、その分威力を犠牲にせざるを得ないのです。この九二式歩兵砲も普段は駄馬(馬の背に乗せる)で運ばれていました。常に人力で運ぶのはさすがに死にますよ(苦笑)。
だったら牽引車の上に直接大砲をのせればいいじゃない?っていう至極まっとうな発想から誕生したのが自走砲です。
ベースとなったのは戦車。砲塔の代わりに大砲を搭載したのが自走砲です。
まず駆逐戦車から。これは対戦車自走砲ともかぶるんですが戦車をベースに戦車より一ランク上の対戦車砲を搭載し戦車を駆逐する車両といえます。回転砲塔ではなく固定戦闘室を持っていると分類もできるんですがM36ジャクソンのようにオープントップながら回転砲塔を持ったタイプがあるので難しい(苦笑)。
自走砲も同じく砲兵科の車両で、機動性を持った砲兵と言えるでしょう。ただこれまた例外があり対戦車戦闘にも駆り出されたりしてるんですよね(苦笑)。
まあ国ごとの基準で勝手に分類してるだけともいえますな(爆)。
で、本題に入ります。自走砲は砲兵の理想形ともいえるものでしたが純粋に砲兵的働きをした車両は意外に少ないのです。
まず超大国アメリカは、巨大な工業力を持つので自走砲の必要性をそれほど感じませんでした。それよりもドイツ戦車に劣勢に立たされていた現状から自走砲はM7プリーストとM8のみ。M10からは駆逐戦車を開発していきます。
というより大戦末期は非力な九七式中戦車、一式中戦車に代わる最良の対戦車兵器として重用されました。
ただ一式砲戦車はしょせん自走砲なので、装甲も薄く(砲塔前面で50㎜以外は8~25㎜)なによりも砲塔が固定式という欠点がありました。
開発側は最初対戦車戦闘を想定してなかったので当然なのでしょうが、側面と背面はがら空きなので被害が続出したそうです。
日本陸軍は、大戦末期はじめから対戦車戦闘を想定した自走砲を計画します。試製五式砲戦車、秘匿名「ホリ車」です。これは実物が完成してないので何とも言えないのですが、一応海外某サイトに載っていた画像を上げときますね♪

試製十糎戦車砲(105㎜)搭載、前面装甲125㎜、エンジン出力550馬力、最高速度40km/h。
完成したら恐るべき力を発揮したはずですが、この手の「もし完成していたら…」があまりにも多すぎるのが日本軍です(苦笑)。厳しい言い方をすれば要するに工業力・技術力がなかったということでしょう。