鳳山雑記帳はてなブログ

立花鳳山と申します。ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

M-3 リー/グラント 中戦車(米)

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 大戦中、いや現代まで見ても一番アメリカらしからぬ異形戦車。M-551シュリダンやM-60A2とはいい勝負かもしれません(苦笑)。

 それでも各国の異形戦車との違いは、それなりに活躍したということです。固定戦闘室に射角の狭い75佶い鯏觝椶掘∨寨茲覆藜臻いあるべき旋回砲塔に副砲の37佶い鮴僂鵑任い襪箸いι垰弋弔雰舛任垢これには開発上の理由がありました。

 第二次世界大戦が勃発し、ドイツの装甲部隊の活躍が目立つとそれまで軽戦車しか保有していなかったアメリカ陸軍は慌てます。急遽75佶づ觝椶凌契鐚岾発を命じますが、まだ技術的に75mm砲を搭載できる大直径砲塔リングを量産可能なレベルではなかったので、とりあず繋ぎとしてM-2中戦車の車体を流用して砲塔ではなく車体に75佶い鯏觝椶垢訐鐚屬魍発することとなりました。

 それがこのM-3中戦車です。しかしこの戦車に「リー」と「グラント」の二種類の呼び名があることについて私は大きな誤解をしていたことをここに白状します(笑)。

 私の解釈では、もともと「グラント」だったのを、南北戦争で恨みの残る南部出身の戦車兵が北軍の軍司令官の名前を冠した戦車に乗るのを拒否したため、仕方なく南部出身の部隊だけ南軍の英雄「リー」と改名したのではないかと思ってました。M-4シャーマンにも似たような話がありますからね(苦笑)。

 ところがウィキペディアでみると、単にイギリス向けの戦車だけグラントと命名しただけだったみたいです(笑)。


 おそらくデビューは北アフリカ戦線だと思います。傾羸鐚屬主力のドイツアフリカ軍団の快進撃を止めたのもM-3ですし(決してクルセイダーではなかった!)、レンドリースでソ連にも送られました。
ソ連では「7人の棺桶」と揶揄されながらも乗り心地の良さや故障の少ないことからT-34よりも戦車兵の評判が良かったそうですから、なんだかなあ~って感じです。

 もちろん太平洋戦線でも大戦末期にオーストラリア軍の戦車としてニューギニアなどで我が日本軍とも対決しています。それにしてもこのオーストラリア軍、マチルダ兇筍-3など当時では旧式化した戦車を持ってくるなんて舐め過ぎてますね!(怒)

 しかし、満足な対戦車装備を持たない日本軍は大苦戦したそうです(号泣)。



【性能諸元】

全長 6.12 m
車体長 5.64 m
全幅 2.72 m
全高 3.12 m
重量 26.0 t
懸架方式 垂直渦巻きスプリング・ボギー式
(VVSS)
速度 39 km/h
行動距離 193 km
主砲 M2-75mm戦車砲×1
武装 M6-37mm戦車砲×1
M1919A4-7.62mm機銃×3
装甲 (前面)51 mm
エンジン コンチネンタルR975-EC2
空冷星形9気筒ガソリンエンジン
400 hp
乗員 6~7 名