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異形の軍艦 三景艦

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                                松島

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                                厳島



 日露戦争時の連合艦隊旗艦戦艦三笠は有名ですが、日清戦争時の旗艦が何であったかは案外知られていません。実は日清戦争時の旗艦は防護巡洋艦松島でした。これと厳島、橋立とあわせ三景艦とよばれます。

 防護巡洋艦というと聞き慣れない名称だと思いますが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて存在した巡洋艦の一種です。装甲艦や戦艦、巡洋戦艦が舷側にも装甲を張っていたのに対し、主機室の上の甲板に装甲を張り(防護甲板と呼ぶ)、舷側には装甲を張っていない艦種でした。

 ただ舷側に何もないというわけでもなく、例えば松島などは51㎜の装甲がありました。これは船体構造物に毛が生えた程度で、思想としてはドイツのポケット戦艦に通じます。三景艦は同型艦ですが、松島と他の2隻は大きな違いがあり32㎝主砲を艦尾に配置しているのが松島、他の2隻は艦首に配置していました。

 見た目、とても異形な艦型ですよね。三景艦は32㎝の主砲を1門、12㎝速射砲を12門搭載していました。来るべき日清戦争で交戦が想定される清国北洋艦隊の戦艦、定遠鎮遠は舷側最大装甲圧305㎜、12インチ(30.5㎝)連装主砲2基4門持ち、世界の海軍関係者はとても日本海軍では太刀打ちできないと考えていました。

 ところが蓋を開けてみると、黄海海戦で三景艦を主力とする日本海連合艦隊は常に敵の頭を押さえる丁字に艦隊を動かし舷側射撃で12㎝速射砲の猛射を浴びせます。威力はなくとも手数で勝負したのです。12㎝砲は敵艦を撃沈するほどの威力はありませんが、敵艦の上部構造物を破壊する程度の威力はありました。

 30.5㎝の巨砲は確かに当たれば一発撃沈できるほどの威力はありますが、発射速度が遅くおそらく清国水兵の練度も低かったためほとんど当たらなかったそうです。日本の32㎝主砲に至っては命中弾1発という惨状でした。

 黄海海戦の勝因は、日本艦隊が北洋艦隊よりも優速(定遠の14.5ノットに対し三景艦16ノット)で、機動力をもって常に敵の先手を取り12㎝速射砲の猛射で打ち勝ったと言えます。北洋艦隊の士気と練度の低さも要因の一つでしょう。


 黄海海戦は、艦隊機動と舷側射撃の有効性、速射砲の威力を戦訓としてもたらしましたが、防護巡洋艦はやはり防御に難点があり20世紀に入ると急速にすたれました。日本海軍が次のロシアとの戦争に備えて三笠などの戦艦を整備していったのはそのためです。