鳳山雑記帳はてなブログ

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日本が列強になり清が半植民地になったのは国民の危機意識の違いでしょうね

【中国メディア】植民地になったことのない日本、清との違いは何だったのか 


 海軍力の差を理由に挙げるのは間違いです。日清戦争の時、清は定遠鎮遠というドイツ、クルップ社製の12インチ(30.5㎝)連装砲×2基という当時としては違例の巨砲を積んだ重装甲の戦艦を2隻も保有していました。日本海軍はこの時戦艦は一隻も保有しておらず、一部しか装甲されていない防護巡洋艦である三景艦(松島、厳島、橋立)が主力艦でした。日本は定遠鎮遠の火力への対応に苦慮し、速度と統一された艦隊行動、速射砲の猛射と命中力で勝利しました。動きが遅い、統一した艦隊行動がとれないという敵の弱点を冷静に分析し自分が勝てる土俵に持ち込んだ作戦勝ちです。黄海会戦で定遠は重装甲で沈没はしなかったものの速射砲で艦橋を破壊され指揮能力喪失、鎮遠も火災を起こし戦線離脱しました。

 私は日本が欧米列強の植民地にならなかったのは民度の高さだと思います。当時庶民でも読み書きができ、各藩は藩校を設けて教育レベルは清に比べ非常に高かったのです。水戸藩が始めた尊王攘夷運動も庶民レベルまで読み書きができたから全国に広がりました。一方、清は科挙でトップレベルの教育水準は高かったと思いますが、庶民の識字率は日本と比べてはるかに低く異民族支配で国に対する愛国心、忠誠心はなかったのでしょう。

 実際、日本は日清戦争でも日露戦争でも兵士の国防意識、危機感が高く精強な軍隊となりました。一方、清軍は完全に軍閥の私兵で忠誠心も低く、戦闘になると我先に逃げだしたそうですから戦闘の結果はおのずと知れます。欧米は日本を植民地にしようとしても国民の抵抗で難しいと思っていたそうですし、清は兵士の質も民度も低いから植民地化は容易だと考えていたのでしょう。その意味では尊王攘夷運動は無謀ではなく、欧米に植民地化を躊躇させる効果は高かったと思いますね。

 清にも林則徐など一部目覚めた人は居たんですが、清の高官は腐敗し国民の忠誠心も薄かったので欧米の侵略を受けたのでしょう。

 戦後日本は平和ボケで現在存亡の危機にありますが、幕末維新期のように目覚めた人が数多く出現しないと危ないと思います。幸いにしてネットがあるので目覚めた我々の危機意識は共有されていると信じていますが、これを一人でも多く広げることが日本の未来を守ることだと思います。