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フォークランド紛争Ⅰ   紛争に至るまで

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 イギリス海軍最後の通常空母アーク・ロイヤル(二代目)は予算削減のあおりを受け1979年退役します。F-4Kファントム戦闘機×14機、バッカニ攻撃機×12機、ガネット対潜哨戒機×4、ヘリコプター×9機など合計39機を搭載するアークロイヤル大英帝国最後の誇りでした。以後、イギリスは2017年就航予定のクイーン・エリザベス級空母の登場まで通常空母を保有していません。

 アークロイヤル退役は、イギリス領フォークランド諸島を狙うアルゼンチンのガルチェリ大統領にとって抗しがたい魅力でした。軍事に疎い方や戦史に詳しくない方にはピンとこないかもしれませんが、空母機動部隊の投射力は絶大で、その気になれば(艦上機の行動半径内なら)どこでも任意の場所を空爆できるのです。言わば動く航空基地。まともな対艦攻撃力を持たない国家からしたら悪夢以外の何物でもありません。

 フォークランド紛争の原因はいろいろ言われていますが、軍事的には間違いなくアークロイヤルの退役がガルチェリに英領フォークランド侵攻を決断させた動機でした。1982年当時現役だったイギリス空母は軽空母のハーミズとインヴィンシブルのみ。(のちにイラストリアルとアークロイヤル[3代目]が加わる)まともな空母航空隊もない弱体化したイギリス海軍では、1万2千キロ離れたフォークランドに対して満足な反撃はできないと舐めていたのでした。

 フォークランド諸島の歴史には様々な経緯があり一概には言えないのですが、当時(現在も)イギリス系住民が大半を占める同諸島をアルゼンチンにアルゼンチンが領有権を主張するのには無理がありました。実際、最近の住民投票でもイギリス領にとどまるという意見が9割を超えたそうですから。

 当時のアルゼンチンは内政が混乱し軍事政権への不満が渦巻いていました。ガルチェリ大統領は、国民の不満をそらすためフォークランド諸島の領有権を訴え国民のナショナリズムを煽ります。当時イギリスは英国病と呼ばれる深刻な不況に見舞われ海外領土にも満足な行政サービスを提供できないほどでした。

 アルゼンチンがフォークランドを奪っても、戦略的価値の低い同諸島をイギリスが本気になって取り返しに来ることはないとガルチェリが判断しても不思議ではありません。インターネットで拾った面白い表現を借りると、
「100円を取り戻すために1万円のタクシー代を払う馬鹿はいない」と云う事です。

 ガルチェリは国際情勢を見誤っていたとしか思えません。確かにフォークランド諸島自体は戦略的価値の低い海外領土でした。が、もしここでイギリスが譲歩すれば、より相手の領有権に正当性があるジブラルタルなど最重要植民地でも同様な動きがあるはずです。そしてそれは、英国にとって到底許容できない事でした。

 時の英国首相にイギリス戦後史上最高だと評される鉄の女マーガレット・ヒルダ・サッチャーが居たこともガルチェリにとっては誤算だったといえるでしょう。1979年就任したサッチャーは、それまでの英国政府の弱気な態度とは打って変わってフォークランド諸島の領有権をがんとして譲りませんでした。苛立ったガルチェリは、1982年3月17日フォークランドの東にある英領サウスジョージア島武装商船を送り込み民間人(に偽装した工作員?)を無断上陸させるなどイギリスに対する挑発行為を繰り返します。

 これによりアルゼンチンの国民世論はガルチェリに圧倒的な支持を与えますが、英国政府はアメリカのヘイグ国務長官にアルゼンチンへ圧力をかける事を依頼するとともに不測の事態に備えてフォークランド海域に攻撃型原潜を派遣することを決めました。サッチャー首相はアメリカのレーガン大統領に最悪の事態に至らないように仲介を頼みます。サッチャーとで戦争を望んでいたわけではないのです。

 1982年3月19日、フォークランドの東1000キロの英領サウスジョージア島にアルゼンチン海軍輸送艦バイア・ブエン・スセソが突如来航。クズ鉄業者と称するアルゼンチン人60名を無断上陸させます。彼らは上陸するとアルゼンチン国旗を掲げ同島に居座りました。英国政府は、アルゼンチンに厳重抗議するとともに氷海巡視船に乗船させた海兵隊22名を派遣しアルゼンチン人排除を行います。この時一部のアルゼンチン人が居座り続け3月26日にはアルゼンチン同胞の保護を名目にアルゼンチン海兵隊500名が上陸しました。

 この動きよく覚えておいてください。離島を敵国が侵略する常套手段ですから。その時に厳しい態度を取らないと結局大きな被害を出すのは侵略された方なのです。

 これはあくまで序章にすぎません。間もなくアルゼンチン軍のフォークランド本格侵攻が始まろうとしていました。英国政府とくにサッチャー首相はどういう決断をしたでしょうか?そして周辺諸国の動きは?

 次回『アルゼンチン軍フォークランド侵攻』に続きます。