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フォークランド紛争Ⅲ   イギリス機動部隊出撃

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イギリス首相マーガレット・ヒルダ・サッチャーは1982年4月3日緊急招集された議会で演説します。
「イギリス領土に対する外国勢力の侵略は久しくなかった事です。政府は準備が整い次第大機動部隊を現地に派遣する決定を下しました」

 不況に打ちひしがれていたイギリス国民はこの演説を聞いて熱狂します。世間の支持率は60%を越えたそうです。イギリスは国連安保理にアルゼンチンの侵略行為を提訴、安保理は決議第502号を採択してアルゼンチンに対しフォークランド諸島での敵対行為の中止と即時撤兵を求めました。

 ガルチェリ大統領の誤算はアメリカがイギリスを全面的に支持した事でした。それまでの関係から少なくとも中立を守ってくれると楽観視していたからです。一般にはアメリカの中途半端な態度をサッチャーから一喝されイギリス支持に回ったと言われていますが、友好関係があったとはいえ同盟条約もないアルゼンチンと、強固な同盟を結ぶ最重要同盟国のイギリスではどちらを選ぶか一目瞭然だったでしょう。それでもぎりぎりまでアメリカは紛争回避に努めました。侵攻の直前、レーガン大統領が直接ガルチェリに電話をかけ思いとどまるよう説得したそうですが無駄でした。

 またこれも一般に流布している話ですが、敵機の前方から撃てる第三世代の空対空ミサイルAIM-9Lサイドワインダーをこの時はじめて供与したと言われますが調べてみるとイギリス海空軍はその前から導入し始めていたようです。ただ大量供与はフォークランド紛争が起こってからだというのは事実です。それまでのサイドワインダーはシーカーの能力から敵機のエンジン排気熱を捉えられる後方からのロックオンしかできませんでした。その意味では敵機の前方から撃てるAIM-9Lは画期的兵器だったと言えます。

 ちなみに、アルゼンチン空軍が装備する空対空ミサイルは、フランス製のマトラ・マジックやイスラエル製のシャフリルですがどちらもこの時には後方ロックオン能力しか持っていませんでした。

 アルゼンチンが国際社会から侵略国と認定されたことで、それまで大量の武器を売却していたフランスもアルゼンチン援助が困難になります。フランスは以後の兵器売却をストップしアルゼンチンはそれまでため込んだ兵器で戦うしかありませんでした。

 ラテンアメリカ諸国はアルゼンチンを支持しますが軍隊を送るわけでもなく何の力もありませんでした。隣国チリはそれまで国境紛争を繰り返してきた関係からアルゼンチンを侵略国と非難しイギリス支持に回ります。そればかりか自国の基地をイギリスに提供すると申し出ました。アルゼンチンはチリがどさくさで参戦することを恐れ、こちらにも兵力を配備せざるを得なくなります。

 ソ連、東側諸国も同様。アルゼンチンを支持したものの安保理では棄権したのみ。もともとソ連と親しい関係でなかったことも災いしました。西側諸国に喧嘩を売る時はソ連と密接な関係がなければ駄目だとよく分かる事例ですね。

 ガルチェリの冒険は、外交的にはすでに破綻しつつありました。何よりも国連安保理から侵略国と決めつけられたことは痛かったと思います。アメリカもソ連もそれぞれイギリスとアルゼンチンに衛星情報を教えたそうですが、アルゼンチンはそれを最大限に生かす事も出来なかったのです。

 4月5日、軽空母ハーミズ、インヴィンシブル、駆逐艦8隻、フリゲート15隻、攻撃型原潜4隻(一部はすでに進発済み)、揚陸艦8隻(第3海兵コマンド旅団3000名乗船)などからなる第317任務部隊が出撃します。空母には海軍艦隊航空隊第800飛行隊(シーハリアー12機)同第801飛行隊(シーハリアー9機)が配備されていました。これはイギリス海軍外洋投射力のほぼ総力を挙げた布陣でした。

 4月12日、英政府はフォークランド諸島近海200海里内をMEZ(海上封鎖領域]に指定、侵入するアルゼンチン海軍艦艇を攻撃すると通告します。4月18日、イギリス本土とフォークランド諸島のほぼ中間にあるアセンション島で補給を終えると機動部隊はフォークランドへ向けて一路南下しました。同時にフォークランド諸島に空中給油で空爆できる南大西洋の英軍各基地に航空機が配備されます。

 アルゼンチン軍は、英機動部隊が来るまでに9000名の陸軍と軍需物資をフォークランドに上陸させました。地上兵力は最終的には1万1千になりますが、港湾施設が貧弱なため主に空輸に頼りました。ですから戦車などの装甲車両は皆無、火砲も空輸できる軽いものに限られます。唯一の希望はアルゼンチン本土から500kmと近いため空軍の支援が期待できる事だけ。

 4月30日、英政府は改めてフォークランド海空域をTEZ(海空封鎖領域)に再指定します。これはフォークランドの地上軍に物資を運ぶ輸送機も撃墜するぞと云う恫喝でした。アルゼンチン軍はこれまでに90日分の軍需物資をため込んでいましたが、以後補給の目処が立たなくなります。

 そんな中、5月1日午前4時イギリス空軍戦略爆撃機アブロ バルカンによるスタンレー空港初空爆が敢行されました。バルカンはもともと核爆弾を搭載し核攻撃を任務とする戦略爆撃機でしたが、この時は1000ポンド(454kg)爆弾21発を搭載しフォークランド上空に飛来します。バルカンはイギリス本土から出撃したのですが、航続距離が足らないため空中給油機を進路上に複数配備し空中給油を繰り返しながらフォークランドに達したのです。その空中給油機でさえ時間内空域にとどまるために、別の空中給油機から給油させるという徹底ぶりでした。

 爆撃の効果は、夜明け前であり通常爆弾だったこともあってたいしたものではなかったそうですがアルゼンチン側は衝撃を受けます。バルカンがフォークランド上空に飛来できた事実は、その気になればイギリスはアルゼンチン各地の好きな場所を空爆できる事を意味しました。首都ブエノスアイレス空爆も理論上可能なのです。

 5月1日午前7時にはハーミズ、インヴィンシブルから発進したシーハリアー12機が、第2波としてポートスタンレー、グースグリーンを爆撃、戦闘は本格化していきます。

 

 次回は、イギリス、アルゼンチン両軍の激闘とフォークランド紛争の結末を描きます。