近代国家に欠かせない重要金属、銅。かつて日本は輸出するほど銅を産出していたとしたら皆さまは驚かれるでしょうか?
実は、明治期お雇い外国人で明治陸軍の父と呼ばれたメッケル少佐は明治新政府が国軍を整備する時鋼鉄砲を揃えるのに時間がかかる事を危惧し、日本で産出する銅を使った青銅砲(錫はどうしたか不明。輸入?)を製造し急場をしのぐ事を提案したくらいです。
実際かなりの数の青銅砲が日清戦争で実戦に参加し、清兵はこれを「天弾」と呼んで恐れたそうです。射程距離も威力も鋼鉄砲に劣る青銅砲に天弾はなかろうと思うんですが(苦笑)、鋼鉄砲とは違う音のする青銅砲を撤退の口実にしたのだと思います。そこまで士気が低かったという証拠かもしれません。
それはともかく、銅は弥生時代末期に青銅器の製法と同時に支那や半島から入ってきたとされます。まだまだ日本列島は開発が進んでいなかったのでしょう。しかし700年前後から国内で次々と銅山が発見され輸入しなくても賄えるようになっていきます。
奈良東大寺の大仏は国内産の銅だけで製造されたくらいです。ただ、まだこの頃は生産量がそれほどでもなく必要量の入手には苦労したそうですが…。
これだけでは日本の銅産出量がどれくらいか分かりませんので国際比較すると、1800年前後の数字で日本の年間銅産出量1820t、チリ1000t、イギリス3481tと世界でもかなり産銅量が多い国の一つでした。
明治時代に入っても日本は銅を毎年2000tから多いときで36000tも輸出していたそうですから驚きます。日本が重工業化してくるとさすがに輸出量は減り、銅山も枯渇していったようですが大東亜戦争開戦前でも銅自給率はかなりあったように思えます。