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人類文明の発祥Ⅱ  青銅器文明

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 マルクス主義考古学者ゴードン・チャイルドによる文明の定義では

・効果的な食糧生産
・大きな人口
・職業と階級の文化
・都市
・冶金術
・文字
・記念碑的な公共建築物

などをあげていますが、私は冶金術が無くとも他があれば十分文明と言えると思います。その意味ではシュメールも長江稲作地帯も文明でした。新石器時代と一括りに言いますが、シュメールやエジプト、インダス、長江など他の狩猟採集地域と隔絶した先進的文明地域もあったのです。

 農耕は、果実、木の実などの採集生活が発展したものだと定義されます。おそらく最初の米や小麦など穀物類は水辺などに自生する野生種だったのでしょう。人類は長い時間をかけて試行錯誤を繰り返しそれらを改良し、安定的に収穫できるようにしました。狩猟で得た食物は気候の影響もあり安定したものではありません。ところが農耕によって得た穀物は、ほぼ安定した収穫を期待でき狩猟採集生活より多くの人口を養えました。

 人類は、食料を貯蔵するために土器を発明し集住し、灌漑などを行いそれが都市に発展します。各地に誕生した都市は、自分たちに足らない物資を他の都市との交易で取得します。そのためには意思の疎通が不可欠で、文字が発明されました。

 ところが増えすぎた人口は、その土地で養える人口限界を超え多くの矛盾を生みだします。本格的な戦争はこの頃登場したのでしょう。農耕文明の周辺で狩猟採集生活から抜け出していない蛮族たちも、豊かな農産物を狙って襲撃を繰り返し、戦争は頻繁に起こるようになりました。支那大陸で版築、中東地域で日干しレンガによる城壁が誕生し都市を囲むようになったのもこの頃です。一万年前から9000年前ですから驚かされます。

 戦争が常態化すると、石器の武器ではもの足りなくなりました。金属器は戦争の必要性から誕生します。最初は銅器でした。銅は世界各地に分布し純度の高い金属の塊としても見つかっていため加工しやすかったのです。しかし、銅器は兜としては有用でも、薄いプレートの鎧では石の鏃でも簡単に貫通します。武器例えば剣を作っても、刃が脆く欠けやすかったのです。

 ある時、その銅に錫を混ぜて溶かすと非常に硬くなる事を発見します。これが青銅器で、人々は武器や防具を青銅で作りました。おそらく最初に青銅器を作ったのはメソポタミア文明シュメール人だったと思います。紀元前3500年のことです。というのは、メソポタミアはチグリス河、ユーフラテス河の河口地帯(現イラク南部)で周囲は平地が多く簡単に異民族の侵入を許したからです。一方、エジプトは東にスエズ地峡、西と南は広大な砂漠、北は地中海と天然の要害で守りやすくメソポタミアよりは青銅器の導入がやや遅れました。

 世界中どこにもある銅と違い、錫は希少金属メソポタミアでは取れません。シュメール人たちは、コーカサス山脈アナトリア、遠くアフガニスタン、インドまで錫を求めました。ですからこの時から広大な交易圏ができます。メソポタミア、インダス、エジプトがほぼ同じ時期に文明を誕生させたのは、まさに錫を中心とした交易ネットワークのおかげでした。

 こういった事情から、青銅は貴重で一部祭器の他は主に武器、防具に使われます。メソポタミア都市国家群を初めて統一したアッカド王国サルゴン王(紀元前2374年~紀元前2279年頃)の常備軍はわずか数千だと言われますが、これは人口が少なかったからではなくそれだけ青銅器が希少だったからだと考えられます。

 メソポタミアアッカドのような広域国家が誕生したのは、神官から発展した王では戦争指導ができなかったからでしょう。戦争が常態化し軍の指揮官が神官よりも権威と実力を持ち、それが王となりました。もともと王の起源は神官で、日頃は民衆から崇められますが凶作や疫病が発生すると王のせいとされ人身御供として殺される運命でした。その後次の王が選ばれます。ところが軍人出身の王になると、常備軍を握っているため簡単に殺す事ができず、逆に民衆支配が強化されます。

 青銅器時代は紀元前3500年から紀元前1500年頃まで続きます。その次に現れるのは鉄器です。次回は鉄器文明の発展を記します。