何故シルクかというと絹がその主要交易品だったからですが、実は最初もっとも重要な交易品があり、それは支那文明で珍重された玉(ヒスイ)でした。玉は円盤状に加工され璧(へき)として尊ばれます。有名な完璧の故事も和氏(かし)の璧という古今無双の財宝が引き金だったのは支那の歴史に詳しい方ならご存知でしょう。
狭義の意味でのシルクロードは中央アジアを横断する陸上ルートを指しますが、甘粛回廊の終着駅敦煌からアムダリア・シルダリアの河間地方ソグディアナの間にはいくつかの難所があります。もっとも知られているのがタリム盆地の大部分を占めるタクラマカン砂漠。そしてその西にはパミール高原が控えます。
西域北道も二つに分けられ天山山脈の南側のオアシス地帯を通る道は天山南路、山脈の北側を抜ける道は天山北路と呼ばれます。
簡単にルートを示すと
◇西域北道
となります。
実は一番古くから開通していたのが西域南道だといわれ、ホータンで産出する玉が支那で珍重されていたそうです。一説では紀元前10世紀ごろから玉の交易が行われたともされ、上の和氏の璧の和氏も紀元前にこの交易ルートを支配していたアーリア系遊牧民族月氏なのではないかとも言われています。
西域からの主要交易品が玉であり、支那からは絹がもたらされました。このほか南ロシアからモンゴルに至る草原の道も主要な交易ルートで、実はこちらの方が交易品の流通量は多かったのではないかともいわれています。
このツァイダム盆地は、遊牧に適した土地で黄河の水源地帯でもあることから農耕もできました。チベットの中では最も早くから開けた地方の一つで吐谷渾(とよくこん)などのチベット系遊牧国家が成立したのもこのためです。