戦国ものの小説、ドラマ、映画などで武勇はあるが酒癖が悪く粗暴で、おまけに阿呆と散々な描かれ方をされる福島正則。確かにそのような一面があったのも事実ですが、ちょっと彼の名誉回復になるようなネタを見つけたんでご紹介します。
先日読んだ「日本の城 恐怖伝説」(楠戸義昭著 祥伝社)に載っていたんですが、福島正則が関ヶ原の功で安芸・備後四十九万石(今の広島県)を賜り広島城に入ったときのこと。
領内を視察した正則は、城下を流れる太田川がしばしば大水害を起こすため大改修に着手します。ところが太田川は名うての暴れ川、工事は難航しせっかく築いた堤防も強い水流ですぐ壊れてしまいます。
いらつく正則でしたが、あるときこれを見かねた地元の古老が「これは太田川の水神様が怒っていらっしゃるのじゃ。美しい乙女を人柱となし神様にささげなされ。さすれば堤防は完成するじゃろう。」と助言します。
老人の勧めるとおり人柱にしたのならただの愚将です。しかし正則はたかが工事くらいで人の命を奪うことの愚かさを思い、これを取り上げませんでした。
正則がどうしたかというと、かわりに秘蔵の名剣八振を川に沈め人柱の代わりとしました。すると驚くことに嘘のように工事は順調に進み見事堤防は完成したそうです。
どうですか?少しは正則を見直したんじゃないですか?
広島といえばもう一つ。毛利元就の伝説もあります。こちらも居城吉田郡山城の改修工事の時の話です。人柱として巡礼の少女が選ばれたそうですが、元就も正則と同様、人の命をいたずらに奪う人柱を嫌います。代わりに、彼が家訓としている「百万一心」を刻んだ石を人柱の代役とし、見事工事を完成させています。
最後に明智光秀も。彼も丹波亀山城を築く時、人柱を嫌い石垣の内側に石仏を埋め込んでその代わりとしました。よく安土城などの石垣を見るとお地蔵さんや墓石などを石垣の石としてる場面に出くわします。従来は石が不足してるためにそこら中から集めたのだと言われていましたが、光秀のエピソードを考えると何らかの呪術的意味があったのかもしれませんね。
人柱伝説は、有名な城にはありがちですが、ほとんどは伝説にすぎません。ただいくつかは例外があり本物の人柱にされたであろう人骨が見つかった例もあるそうです。
どんなに有名な武将でも、これでは嫌いになってしまいますよね。福島正則のほうがよっぽど好感持てますよ。彼はアホですが、私は彼のほうが好きです。