鳳山雑記帳はてなブログ

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三菱 『零式艦上戦闘機』

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零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)は大日本帝国海軍(以下、海軍と表記する)の主力戦闘機。「零戦(ぜろせん、れいせん。「ゼロ戦」とも)」の略称で知られている(以下、零戦と表記する)。海軍の艦上戦闘機(以下、艦戦と表記する)としては実質的な最終型式で、支那事変の半ばから大東亜戦争(太平洋戦争)の終わりまで各地で活躍したことで知られる。大東亜戦争初期に連合国の戦闘機を駆逐したことから、主交戦国のアメリカ軍から「ゼロファイター」の名で恐れられた。設計は三菱だが、三菱と中島飛行機で生産され、総生産数の半数以上が中島製であった。

                           - フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』より -

 記念すべき750回目の記事は、あまりにも有名な零戦です。500km/h以上の速度と長大な航続力、九六艦戦を越える運動性という互いにあい矛盾する性能が海軍から要求され、競争試作するはずだった中島が途中から辞退したくらいです。

 三菱の主任設計技師、堀越二郎を中心とした開発スタッフは超々ジュラルミンの採用、徹底的な軽量化、空気力学的洗練、沈頭鋲の採用、落下式増槽など当時考えられるすべての技術をつぎ込んでそれに答えました。

 デビューは中国戦線です。昭和15年7月21日、十二試艦戦(後の零戦)15機は漢口に送られます。初陣は重慶上空、13機の零戦中華民国空軍のソ連製ポリカルポフ「イ-15」「イ-16」計27機に対して全機撃墜、損害ゼロ(被弾4)というパーフェクトゲームを演じました。

 大東亜戦争初期、零戦は無敵の戦闘機でした。旋回性能のすばらしさ、2000km以上の航続力は初期の連合軍戦闘機を圧倒します。

 しかし、工業力に勝る米英は2000馬力級のF6FやF4Uなどの新鋭戦闘機を投入、格闘戦を避け速力の優位を生かした一撃離脱戦法をとるようになると、ベテランパイロットを失っていた零戦は、不利な戦闘を強いられました。

 零戦の欠点として防御力の貧弱さがあげられますが、海軍の過大な要求を満たすため重い装甲を施すよりは運動性でカバーするという方針が採られたためでした。

 零戦の悲劇は、後継機に恵まれなかったことです。そのために最後まで使い続けられました。旧式化のはっきりした機体で、敵新鋭戦闘機と戦わざるをえなかったパイロットの心境はどうだったのでしょうか。

 良くも悪くも海軍そして日本を象徴する戦闘機、零戦。しかし大戦初期においては世界最高の戦闘機であったことはまぎれもない事実です。