鳳山雑記帳はてなブログ

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こんなバカ出題者では受験生が可哀そうです

 普段、朝日新聞の子分のような反日左翼地方紙(熊本日日新聞)は胸糞悪いので読まないんですが、たまたま先日寄ったファミレスに置いてあったので暇つぶしに読んでみました。その中に大学入試共通テスト問題が載っており世界史Bの問題を試しに解いてみました。

 すると冒頭から頭にくる記述がありました。史記における始皇帝死去前後の問題で、始皇帝の近臣(おそらく趙高のことだと思われる)が大臣と謀り、始皇帝の遺言を偽造し末子の胡亥を後継者にしたと書かれていました。問題はこの大臣は誰か問うものでしたが、李斯と答えさせたかったのでしょう。

 ところが宦官の趙高はこの時郎中令。これは九卿の一つでれっきとした大臣です。ですから意地悪な見方をすると宦官の一人が大臣の趙高と謀ったとも取れます。ですから李斯と答えさせたいなら大臣ではなく正確に丞相(日本の総理大臣に当たる)と書くべきでしょう。これはシナの歴史に詳しければ詳しいほど混乱する悪い問題ですよ。

 さらに次の問題では、史記の記述と違い近年発見された竹簡ではむしろ李斯が始皇帝に胡亥を後継者にするよう進言したとあります。その竹簡は信用できるものなのか?シナの場合、歴史書は権力者の都合の良いように書かれるので事実ではない可能性もあると思いました。史記が不朽の名作といわれるのは、その時々の権力者に阿らずできるだけ公平な立場で歴史をダイナミックに描いているからであって、私は史記の記述の方がはるかに信用できます。近年発見されようがどうであろうが矛盾する記述の場合どちらが正しいかは一概には言えません。

 この出題者は、司馬遷が恣意的に資料を集めたので歴史解釈に歪みがあるなどと暴論を述べています。何様のつもりなんでしょうか?(呆)シナの歴史を少しでもかじった者なら口が裂けても言えないはず。そしてこんなクズ学者に出題され間違って学んだ受験生が世に出るかと思うと、空恐ろしくなります。

 昼食に寄っただけなのに、こんなふざけた問題を見て気分が悪くなりました。そして歴史教育の大切さについてあらためて思い至った次第です。

 

 

追伸:

 腹立ちまぎれの蛇足。丞相の李斯は確かに官僚のトップにあたる高官ですが、郎中令の趙高は始皇帝の言葉を直接聞くことができ丞相の李斯であっても気を遣わなければいけない存在でした。いわば江戸幕府でいうところの側用人。ですから実質的な権力者は趙高の方でした。李斯も始皇帝に取り次いでもらうために気に入られなくてはいけないし、もし嫌われたら始皇帝に讒言され無実の罪で殺される危険性もありました。実際、馬鹿のエピソードでもわかる通り趙高によって殺された秦の高官は数多くいます。

 趙高は自分の意のままに始皇帝に報告できたし、自分の意向を始皇帝の命令として丞相李斯以下文武百官に命ずることが出来ました。シナの王朝はこのように宦官が悪政をした結果国が乱れ反乱がおこり滅亡するというケースが多かったように思います。

 趙高の権力の源泉は、始皇帝が奥に隠れ直接百官と接しないこと。ですから怪しげな方士を始皇帝に会わせ「不老不死の薬をもたらす神仙は人の気配がすると現れない」などと嘘八百を言わせたのでしょう。始皇帝が不老長寿を求めた原因も趙高の陰謀の一つだったのではないかと私は考えてます。