鳳山雑記帳はてなブログ

ヤフーブログが終了しましたので、こちらで開設しました。宜しくお願いします。

夏太后話の続き どうでも良い事ですが…

 夏太后って、wikiによると安国君の側室になった時は夏姫って呼ばれていたらしいですが、これってちょっとおかしい事に気付きました。まさかと思って史記の日本語訳も確認したんですが確かに書かれていました。

 ところが古代支那史をちょっとでもかじった者なら夏姫という表記に違和感を感じるはず。というのも日本で姫と言えば高貴な女性を意味しますが、支那では姫姓といって周王室の流れをくむ者でないと付けられない名前なんです。夏姫と言って一番有名なのは、関わる男をことごとく破滅させた春秋時代末期の稀代の悪女ですが、彼女も鄭という周王室の分家から始まる国の公室の出身で、陳(春秋時代の諸侯国の一つ)の大臣夏御叔に嫁いだため、夏氏に嫁いだ鄭公室(姫姓)の女性という意味で夏姫と呼ばれたのです。

 まさか安国君が夏氏に嫁いでいた姫姓の人妻を奪ってきたというならともかく、独身であったなら夏氏と呼ばれないといけないはず。同時に始皇帝の生母も趙姫ではなく趙氏と呼ぶのが筋。私は史記などの原文を確認したわけではないので、もしかしたら原典には別の表記でなされていたのを日本語翻訳者が意訳しただけかもしれないと考えました。それなら納得するんです。

 ましてや趙姫の場合は趙の都邯鄲で踊り子(一説では娼婦)をしていたところ、その美貌を大商人呂不韋に見初められ愛人となり、始皇帝の父子楚が一目ぼれして呂不韋に譲られたわけですからね。こっちも趙の歌姫という意味で日本語翻訳者が意訳したというなら理解できます。


 別にどうでもよい事なんですが、宮城谷昌光信者になると細かいところにこだわりが出てきますね(苦笑)。これが塚本青史さんの読者なら本人が歴史考証に関してはいいかげんなんでここまで気にならないんでしょうが…。どの作品か忘れましたが子姓(商【殷】王室の姓)に関してとんでもないことを書いていたので、それ以来見限りました。