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支那史に関する与太話

 今ちょうど岡田英弘氏の『皇帝たちの中国』を読んでいます。これを買ったきっかけは、YOUTUBEで岡田氏の妻である東洋史学者宮脇淳子先生が同書を解説していたからです。私は宮脇先生が大好きで、勝手に「ずんこ先生」と呼んで慕っています。本人が知ったら怒るでしょうが(苦笑)。

 それはともかく、岡田英弘氏は東洋史学者で専門は宮脇氏と同じく北アジア遊牧民研究の大家です。支那史に関しても詳しく、漢民族が東夷西戎南蛮北狄が中原(黄河中流域)に集まって交易する際に共通の言語漢字を作って意志疎通をしたことから成立した融合民族だという指摘は私も納得しました。同書に関してはそのうち書評を書くかもしれませんが、まだ3分の2しか読んでいません。最近年取ったせいか読書スピードが落ちて新書でも読むのに一週間くらいかかるんですよ。

 まずは皇帝たちの中国史を読んでいて思った点を書きます。突然ですが、始皇帝の皇太子扶蘇、唐の高祖李淵の皇太子李建成、明の太祖朱元璋の皇太子李標の共通点をご存知でしょうか?

 よほど支那史に詳しくないと知らない名前だと思いますが、この三人は共通して温厚篤実な性格で調整型、臣下にも慕われて次期皇帝間違いなしと思われていた人物です。ところが三人とも皇帝になる前に亡くなっています。特に扶蘇、李建成は悲惨で扶蘇の場合は、奸臣趙高の陰謀で無実の罪を着せられ自害、李建成に至っては有能な弟李世民(二代太宗皇帝)に暗殺されました。李標は権力争いに巻き込まれる前に病死しましたが、その息子で明王朝二代を継いだ建文帝允炆(いんぶん)は、叔父(朱標の弟)である燕王朱棣(しゅてい 後の明三代永楽帝)による反乱(靖難の変)で殺されました。

 ですからもし朱標が長生きしても、弟燕王に殺された可能性はあります。性格が優しすぎるのは皇帝としては不利な要素なのかもしれませんね。庶民なら皆から慕われて安楽な生涯を送ったかもしれませんが、熾烈な権力争いを生き抜くにはマイナスなのでしょう。李建成の父李淵は凡庸な人物ですが、始皇帝にしても朱元璋にしても強烈な個性でどちらかというと悪人の類です。

 そんな父を見ていたから反面教師にして優しい性格に育ったのでしょうが、皇帝の座を狙う親族たちにしてみれば格好の餌食だと映ったのでしょう。李淵は凡庸な人物でしたが、次男の李世民始皇帝朱元璋と同じく強烈な個性の持ち主です。後世支那史上最高の名君と称えられる李世民ですが、兄である皇太子李建成を玄武門の変で殺害したのですから善人ではないでしょう。しでかした事実だけから見ると悪人です。

 もっとも実の兄弟を殺害して皇帝の座に就いた李世民は、そのことを生涯気に病み善政を布いたそうですから、支那の庶民にとっては幸いでした。いろいろ考えると、最高権力者の息子に生まれた場合善良だといずれ殺される運命なのかもしれません。それだけ権力の魔力は恐ろしいという事なのかもしれませんね。