この前の盆休みで色々ブログネタを仕入れてきました。古本屋で見つけた文春文庫の「占いを信じますか?」という本は、占いに関するエピソードを古今東西から集めた非常に面白い本です。そのなかで私が印象深いエピソードをご紹介します。
文豪菊池寛といえば、知らない人はいないと思います。『父帰る』『恩讐の彼方に』 などで有名で、直木賞、芥川賞を 設立したことでも知られています。その彼が占いの信奉者だったとしたら意外に思われるでしょう。
若い頃の菊池寛が無名で、不遇の時代の話です。ある晩菊池は、友人の芥川龍之介、久米正雄らと食事したあと腹ごなしにぶらぶら歩いていました。湯島天神にさしかかったとき、戯れに手相を見てもらうことにしました。「西洋的知性」の芥川はこれを拒んだため菊池、久米の二人が見てもらいました。
菊池の手相をじっと見ていた占い師は、
「30歳を越えてから栄達し、一群の人の上に立ち、なお金銭には不自由しない。」と断じました。
三人は、この占いを腹の中で笑いました。というのも芥川、久米が文壇の注目を浴びていたのに対し、菊池はまだ無名で作家を廃業しようかと悩んでいた時期だったのです。
その菊池を一番出世すると占ったのですから、誰も信じませんでした。
しかし、10年後菊池は『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』を発表し文壇の地位を確立します。また劇作家としても名声を博し、文芸家協会を設立、「文壇の大御所」と呼ばれるようになっていきます。
まさに占いの通り「栄達し一群の人の上に立った」わけです。
後年、久米は「あのときの君の手相は、良くあたったなあ」と感じ入ったそうです。
それ以来、菊池は自分でも手相を研究するようになったといいます。ただ人相だけは信じませんでした。なぜかというと、人相を見てもらったとき「あなたはケチン坊だ」といわれたので怒ったそうです(笑)。