2012-01-20から1日間の記事一覧
菊池家最後の当主(二十六代)になった義武については評価が別れています。本家大友家を乗っ取ろうとした野心家であった、あるいは大友氏の肥後支配の矛盾を背負って死んでいった犠牲者だったなどなど…。 私も結局彼の人物像は分かりませんでした。 菊法師…
玉名を中心とした菊池肥前家の興亡は、高瀬津を擁する同族高瀬氏との強い絆があって初めて成立したと思います。 強大な大友氏に曲がりなりにも政隆が抵抗できたのは高瀬津、伊倉津を通じた明や高麗との海外貿易の莫大な利益がかなりの部分寄与したはずです。…
なかなか政隆が登場しないとご不満の方も多いと思いますが(苦笑)、菊池宗家と菊池肥前家の関係を説明しておかなければ後々分かりにくくなると思いご紹介した次第です(汗)。 菊池氏二十一代重朝(1449年~1493年)の時代は肥後守護家菊池氏にとって散々な…