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世界史英雄列伝(44) シヴァージー 反ムガールの英雄(前編)

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 故陳舜臣さんの小説にインド三国志という作品があります。アウラングゼーブ帝のムガール帝国、シヴァージーを中心とするマラーター同盟インド亜大陸に進出を企むイギリス勢力との三つ巴の戦いを描いた小説ですが、残念ながら未完に終わっており続きが気になっていた方も多いと思います。
 
 シヴァージー(1627年~1680年)はマラーター族出身の豪族でマラーター王国創始者です。話を始める前にまずマラーターから説明せねばなりません。マラーターとは中世に現れた新しいカースト集団で、もともとはクンビーと呼ばれる農耕カーストから派生したと言われます。民族的には土着のドラヴィダ系と侵略者であるインドアーリア系の混血だという説もあります。
 
 カースト制度とは大きく分けてバラモン(祭祀階級)、クシャトリア(戦士階級)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)と不可触賤民のバリアから成り、おそらくアーリア人がインドに侵攻した紀元前15世紀頃に起源があると言われます。インドの民族宗教ヒンズー教成立とともに固定され現代でもなおインドの民衆を苦しめる身分制度でした。
 
 マラーターは固定した身分階級ではなく、その中にバラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラを包含する民族集団でヒンズー教を信仰し支配階級はクシャトリアを名乗ります。マラーターはデカン高原西部からインド南部にかけて分布していました。当初マーラーター族はインド南部を支配するビジャープル王国に戦士として仕えます。
 
 シヴァージーの父シャハージーもアフマドナガル王国に仕える将軍でした。一方ラージャ(君主)の称号を持つタンジャーヴールの領主でもあります。名目的には南インドを支配するビジャープル王国に服属しました。1690年ころからデカンに侵攻してきたムガール帝国と戦い続け1712年タンジャーヴール城で死去します。一説では弟サラボージーに王位を譲りヨガ行者になったとも言われますがよく分かりません。
 
 面白いのはインド西部を支配するアフマドナガル王国も宗主国のビジャープル王国もイスラムスンニ派の国で、ヒンズー教徒のマラーター族は宗教の違いを気にせず仕えていたことです。もっともデカンに侵攻したムガール帝国も土着ヒンズー教徒の将軍や官僚を多く抱えていましたから、宗教の違いは気にならなかったのかもしれません。当時の人々は現実的だったのでしょう。
 
 叔父サラボージーとシヴァージーの関係はよく分かりません。1712年タンジャーヴールの王位を継いだのはサラボージーで、シヴァージーはそれとは別に独自の行動をしていたようです。1633年アフマドナガル王国はムガール軍に首都ダウラタバードを落とされていました。そのためシャハージーは一時宗主国ビジャープル王国に亡命し領地を与えられています。
 
 幼少期をビジャープル王国で過ごしたシヴァージーは、成長するとマラーター族の故地であるコンカン地方を旅します。そこでビジャープル王国に封土を与えられていたマラータの豪族たちと知り合い、民族の結束を訴えました。シヴァージーにはカリスマ性があったのでしょう。瞬く間に一大勢力に成長します。
 
 1644年頃、シヴァージーはビジャープル王国からの独立を考え始めたと言われます。同地にあったビジャープル王国の要塞を奪取したのを皮切りに軍を率い時には謀略を用いてコンカン地方を切り取っていきました。そのため1648年7月には父シャハージーが王国に逮捕されます。それでもシヴァージーは侵略を止めず1653年にはコンカン地方の大部分を手中に収めました。
 
 マラーター族の間ではビジャープル王国に忠誠を誓う有力豪族層、新興のシヴァージーに可能性を見出し民族の独立を勝ち取ろうという小豪族層に分かれました。シヴァージーは有力豪族層を滅ぼし自らのボーンスレー家の支配を固めます。
 
 シヴァージーの動きは、ついにビジャープル王国の怒りを買いました。1659年5月、ビジャープル王アリー・アーディル・シャー2世は将軍アフザル・ハーンを大将とする討伐軍2万を送り込みます。11月ビジャープル軍がプラタープガド城を包囲するとシヴァージーは降伏を申し出ました。アフザル・ハーンのもとに赴いたシヴァージーは抱擁すると見せかけ、隠し持っていた短剣でアフザル・ハーンの脇腹を刺し殺害します。間髪を入れずシヴァージー軍は混乱しているビジャープル軍を急襲、敵は1万の死傷者を出して潰走しました。
 
 その後、何回か送られたビジャープル王国の討伐軍はシヴァージーに撃ち破られそのたびにシヴァージーの勢力は拡大し続けます。こうしてシヴァージーはデカン西部に確固たる勢力を築きました。ビジャープル王国はついにシヴァージーの討伐を諦めざるを得なくなります。
 
 その頃、北インドでは壮絶な兄弟による皇位継承戦争を勝ち上がったアウラングゼーブが1658年ムガール帝国皇帝に即位していました。もともとアウラングゼーブはデカン総督としてこの地を征服する任務を持っていた皇子です。その彼が王位継承戦争でデカンに構う余裕がなかったことが、シヴァージーの躍進に繋がったとも言えます。
 
 
 
 皇帝となったアウラングゼーブが次に狙うのはシヴァージーマラーター王国でした。次回、ムガール帝国マラーター王国を中心とするマラーター同盟とのインドの覇権を賭けた大戦争デカン戦争とシヴァージーの死を描きます。