タージ・マハル(Taj Mahal, ताज महल, تاج محل)は、インド北部アーグラにある総大理石造の墓廟建築。1632年着工、1653年竣工。1983年にユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、ペルシャやアラブ、果てはヨーロッパから2万人もの職人を集め、22年の歳月をかけて建造させたといわれているインド=イスラーム文化の代表的建築。シャー・ジャハーンが、愛妃ムムターズ・マハルの死(1630年)を悼んで建設したという逸話は有名。
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世界遺産にも登録され、インドの観光名所としてあまりにも有名なタージ・マハル。ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが亡くなった愛妃ムムターズ・マハルを偲んで建造したといわれています。
本人は、ヤムナー川を挟んで自分の黒い廟を建造し大理石の橋で繋ぐ計画だったそうですが、ついに実現する事はありませんでした。
といいますのも、最後は実の息子である第6代皇帝アウラングゼーブによってアーグラ城に幽閉され失意の晩年を送ったからです。
では、なぜこのような悲劇に見舞われたのでしょう?それはムガール帝国恒例の後継者争いが原因でした。シャー・ジャハンには有力な4人の皇子がいました。
嫡男のダーラー・シコーは父と共に首都デリーにあり後継の最有力と見られていました。だだ他の三人の皇子は国境の守備を任されていたため有力な軍隊を保有していました。
次男のシャー・シュジャーはベンガル方面、三男のアウラングゼーブはデカン方面、四男のモラード・バクシュはグジャーラート方面(西南インド)を領していました。
後継者争いに敗れれば殺される決まりでした。それだけに各皇子は必死になります。シャー・ジャハンが病気になるとダーラーが統治を代行しますが、これが父を幽閉したものだと言いがかりをつけ各皇子は蜂起しました。
このなかで最も狡猾なのは三男のアウラングゼーブです。武勇だけで考えの足らない弟モラードを騙し、「自分は皇帝になる野心はないが、争いに負けて殺されるのも嫌だ。お前が私の生命の保証をしてくれたら、皇帝即位できるよう協力しよう。自分は出家させてくれれば満足だ。」と言います。
モラードはこれを信用し両者は連合してデリーに攻め込む方針を決めました。一方ダーラーはシャー・シュジャーの軍を破り、ベンガルに追い返したばかりでした。
そこへ連合軍が攻め込んだのですからたまりません。敗北しデリーを追われてしまいます。首都に入場したアウラングゼーブは、「弟は皇帝になるには乱暴すぎる」と言いがかりをつけてモラードの軍権を奪ってしまいます。初めからこうする計画でした。騙されたと悟ったモラードでしたが後の祭りです。幽閉され最後は殺されてしまいます。
アウラングゼーブはアフガン方面に逃れたダーラー、ベンガルに逃げ込んだシャー・シュジャーの軍を相次いで撃破し実力で第6代皇帝の位をもぎ取りました。ダーラーも捕らえられ殺されます。シャー・シュジャーはビルマ方面に逃亡したといわれますが消息を絶ちます。おそらく現地の土侯に殺害されたのでしょう。
さすがにアウラングゼーブも病気であった父を殺害することだけは思いとどまります。その代わり離宮のあったアーグラに幽閉し死ぬまで軟禁したのです。
哀れなシャー・ジャハンは自分の廟を建設する夢も破れ、寂しく死んでいったことでしょう。アウラングゼーブの時代がムガール帝国の絶頂期でした。